書評

2013年7月号掲載

「気くばり」を超えて

鈴木健二『心づかいの技術』

鈴木健二

対象書籍名:『心づかいの技術』
対象著者:鈴木健二
対象書籍ISBN:978-4-10-610523-4

「心」って何だろう。どこにあって、何のためにつかわれるのだろう、という平凡極まる疑問から書き始めたのが、『心づかいの技術』です。私の八十有余年の生活から具体例を挙げて綴(つづ)りました。
 私は三十年以上も前に『気くばりのすすめ』という本を出しました。今は古本屋さんの片隅にぽつんと置かれ、往年の一年間に四百万部突破の栄光も色あせて、ひっそり鎮座しているようです。
『心づかいの技術』は、『気くばりのすすめ』とはまるで二卵性双生児の兄と弟のような、日常からの雑学や知恵のような内容です。書き終わった私でさえ、まだ「心」って何だろうと考えているほどなのですが、私の能力限度いっぱいの本です。
「心」という字をよく見てみて下さい。
 タテにもヨコにもナナメにも、長短の別無く直線が一本もありません。すべての漢字の中でも珍種に属すのではないでしょうか。あえて考えれば、「火」があります。古代の哲学では“万物の根元”と考えられていた存在です。しかし、「火」は見えますが、「心」は見えません。『心づかいの技術』はここから話が始まります。
「心づかい」の基本には相手の思いにどう気付くか、ということがあります。そのためにどんな作法やしきたりを養えばよいか、私の体験を通じ、一話ごと二十九の講義形式でまとめてみました。
 ところで、次の二つの言葉を私は愚著の中で何度も繰り返し書いています。
「大東亜戦争が遺骨の蒐集(しゅうしゅう)などで完全に終わるまでには、敗戦から百年の歳月を要する」
「原子爆弾投下直前すべてのアメリカ人は良心を失い、投下された原爆は、すべての日本人の良心を破壊し続けるだろう」
 今も目の前のテレビで、日本でテレビ放送が始まる以前から昭和の終わりまで私が三十六年間在籍したNHKのニュースで、七十代の老女が“オレオレ”の電話で呼び出され、五十代の男性二人組に一千万円を詐取(さしゅ)された事件を報じています。この五十代の人間たちを育てたのは、戦争や原爆を直接体験した私たち八十代の“戦中派”なのです。日常化した親殺し、子殺し、“誰でもよかった”殺人などを見ると、私は戦争で破壊された日本人の心の、世代にわたる負の連鎖だと考えています。
「心」は不可解です。でも、つかい方次第で人間関係を潤(うるお)し、豊かにすることができます。目に見えない「心」を上手に活(い)かしてほしい、その思いから綴った言葉や体験が「心づかいの技術」として読者の方に少しでも役立てば無上の幸せです。
 何しろ私の原稿ときたら、昭和三十年代の第一作から今日まですべて手書きのいわゆる殴(なぐ)り書きで、最後の一字を書き終えると、読み返しもせずにお渡ししてしまうので、半世紀の間、常に編集される方には申し訳ない気持ちの連続です。
 この「波」の原稿も、一人でも多くの方が、拙著に興味を持って読みたくなるような文章を、千二百字で書いて下さい、という依頼でした。
 一筆で丁度(ちょうど)千二百字。これも私の技術です。

 (すずき・けんじ NHK元アナウンサー)

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