書評・エッセイ

2013年8月号掲載

淋しい天女

――北原亞以子『祭りの日 慶次郎縁側日記』

米村圭伍

対象書籍名:『祭りの日 慶次郎縁側日記』
対象著者:北原亞以子
対象書籍ISBN:978-4-10-141430-0

 細い指があがって、陳列されている酒瓶の一本を示した。
「これ、あたしのことだわ」
 すねたような、甘えるような声だった。
 藍色の瓶に貼ってあるラベルには、「淋しい天使」とある。
 私はとっさに返した。
「天使? 先生は『天女』でしょ」
 時代小説作家が、ご自分を切支丹伴天連の崇めるエンゼルになぞらえちゃいけませんぜ。
「淋しい天女、ね……」
 七色の羽衣をまとい、細い白絹の被帛(ひはく)をたなびかせて、雲の合間をあてもなく漂う、孤独な天女。
 どうやらお気に召したようで、お褒めの言葉を賜った。
「さすがは米村圭伍」
 北原亞以子さんに褒められたのは、その一度だけだったように思う。叱られたこともなかったけれど。
「編集者と作陶を楽しんでいるんだけど、あなたもこない?」
 そう声をかけられたのは、もう十年以上も前、山本周五郎賞のパーティでだった。私が受賞した新人賞の審査員で、住まいもそう遠くない、というご縁から誘ってくださったのだ。
 なんでも、慶次郎の趣味を何にするか、と考えて陶芸を思いついたのだが、根岸の寮に窯を設けるわけにはいかないので、詰め将棋にしたのだとか。その際に、ご自身が土をひねってみたくなったのだそうだ。
 作陶のあとはお決まりの飲み会で、下戸の私がわずかな酒で真っ赤になっているのをからかったかと思うと、「ヨネさん、そろそろ白いご飯を頼んであげようか。それともおにぎりがいい?」などと世話を焼きはじめる。
 ちょっぴり意地悪で、でも優しくて。粋を愛で、野暮を腐し、好き嫌いをはっきりと口にする。頑固で、決して自説を曲げない。旅を好み、好奇心も旺盛で、ジャニーズ系アイドルグループのコンサートに参戦して団扇を振ったという武勇伝を聞かされたこともある。
 いきいきと人生を愉しむ姿を見ていると、ちゃきちゃきの江戸娘ってのは、こういう感じだったんだろうな、などと思ったものだ。
 そんな北原さんが、ふと陰の部分をのぞかせたのが、冒頭の情景である。飲み会の後、全国の銘酒をそろえていると評判の酒屋に立ち寄った際の出来事だ。
 その時まで私は、陶芸の会に誘ってくださったのは、各社の編集者に新人作家を「お披露目」して、少しでも執筆の依頼が来るように、との配慮からだと思って、感謝していた。そして実際に、コラムや短編の仕事をいくつかいただいた。
 しかし、それだけではなかったのだ。
 飲み会がお開きになると、北原さんは乗り換えの駅で編集者と別れ、単身で電車に揺られて帰宅する。
 その間の話し相手として、同じ路線の住人である私を誘ったのだ。たったの三十五分間、ひとりぼっちになるのが嫌で。
 自宅に帰り着いても、「おかえり」と迎えてくれる声は響かない。生涯独身を貫かれたからだ。
 おのれの心に潜む孤独や嫉妬、憎悪、欲望といった、人間誰もが有する心の闇と真摯に向き合っていたからこそ、あれほどまでに深く、そして美しく、江戸に生きる人々の哀歓を描き得たのだと思う。
 心臓病で入院した北原さんは、「男子は面会禁止」とのお触れを出した。手術で弱った姿を見られたくない、というのだ。まったく、見栄っ張りなんだから。
 その禁が解けても、私は見舞いに行かなかった。自ら皆の前に姿を現されるまで、お目にかかるまいと決めていた。
 ころころと笑う、元気なおてんば娘に戻るまでは。
 入退院を繰り返しながらも、北原さんは慶次郎を書き続けた。まだ単行本化されていない作品があるので、楽しみにお待ちいただきたい。
 ちゃきちゃきの江戸娘にふさわしく、ご葬儀は谷中にある古刹で執り行われた。
 だらだら坂を、一歩、また一歩と踏みしめながら登っていくと、四月まではまだ十日ほどもあるというのに、桜の花房が揺れていた。
 わがままなお方だぜ。天上界に戻る日に合わせて、桜を咲かせやがった。きっと今頃は、皆が集まっていることなんかとんと忘れて、花見に夢中なんだろうな。羽衣の裾を風になぶらせて、宙天をふわふわと漂いながら。
 花曇りの空を見上げて、私は呟いた。
 北原先生、ヨネが来ましたよ。

 (よねむら・けいご 作家)

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