対談・鼎談

2013年8月号掲載

島田雅彦『ニッチを探して』刊行記念対談

実体験に基づく21世紀東京版ユリシーズ

宮内悠介 × 島田雅彦

自分の生息域を探して/「測量」と「リサイクル」
都市を書くということ/没落時代の「リハビリ」

対象書籍名:『ニッチを探して』
対象著者:島田雅彦
対象書籍ISBN:978-4-10-118713-6

背任の容疑をかけられ、失踪した元銀行員。路上、酒場、公園、野山、廃車、河川敷などを彷徨いながら、所持金ゼロでも暮らせるニッチ(生息域)を探す旅。驚異的リアリティで描く実践的サバイバル小説をめぐって。そして大学在学中の鮮烈なデビューから今年30周年を迎える島田氏のこれからの文学とは――。

自分の生息域を探して

島田 88年頃だったか、小学生だったあなたにニューヨークで会っているんだよ。

宮内 実は漠然と覚えています。

島田 ミニカーで遊んでいて、何かにぶつかるたびに自分が「痛っ!」って言ってた(笑)。デビュー作の「盤上の夜」の中に「星が痛い」って言葉があるでしょう。

宮内 囲碁の盤上に配置された黒点に痛みなど感じないはずなのに、共感覚的に痛いと感じる人の台詞です。

島田 そこを読んで、ミニカーに同一化していた悠介ちゃんのことを思い出した。

宮内 恥ずかしい(笑)。

島田 いつ頃から小説を書き始めた?

宮内 十六、七歳の頃に友達の影響で新本格ミステリを読み出して、自分でも書いてみたいと思ったんです。だんだんミステリだけでは飽き足らなくなって、ポストモダン文学に興味が移り島田さんの作品を知りました。デビュー30周年を記念して刊行された『島田雅彦芥川賞落選作全集』に入っている作品はほとんど読んでいます。一応、島田チルドレンの端くれなんですよ。

島田 それはありがとう。この『ニッチを探して』はどうでした?

宮内 すごく面白かったんです。故あって銀行を辞めた男が、家族を置いて失踪……というか、ホームレス的な放浪を通じて「ニッチ」と呼ばれる概念を得ていく。ある種ホメロスのようでもありますし、同時に、深刻な状況であるはずなのに全く悲壮感がない、言葉遣いもくだらない駄洒落も面白すぎる(笑)。

島田 「ニッチ」は生息場所とか隠れ家とかいろんなニュアンスで使っているけれど、基本は生物学的な定義に従っています。そして誰しも失踪願望や放浪癖、徘徊癖というのを抱えている。普通は出勤途中に「ああ、サボりたいな」と一瞬思うだけ。あるいは帰宅途中に飲み屋のハシゴを重ねたりとか、ジョイスの『ユリシーズ』的な徘徊を誰もがやっているのですが、実際に「離脱」する時のことを考えると、徹底的にリアリティに拘り、読者がその軌跡をトレースできることが重要だと考えました。全て実在の場所で、行ったことがあるし、作中の食物も全て食べたことがあります。野宿もしました。

宮内 何故そこまで事実に拘ったのでしょう。

島田 一つには自分の中に、この主人公のように明日、人生のリセットボタンを押してもいい、という前提があること。もう一つは、今この瞬間の東京をリアルに固定しておきたい、と思った。東京は代謝が激しいので常に変わっていますが、現時点で実在し、活用できるものをなるべく多く確保しておきたいという妙な欲望が生じちゃったんですね。

宮内 時間軸で区切ったときに東京に何が見えるか、ということですか。

島田 はい、そこに無茶苦茶こだわったんです。失踪に憧れるだけでなく、実践できるようにするために。

「測量」と「リサイクル」

宮内 私は後半に主人公を助けるアルツハイマーの女性が大好きでして(笑)。ドライなような、情があるような、そんな二人のやり取りがすごく好きでした。

島田 情が絡まないと、逃げ切れないし、生き延びていけない。女を頼れない逃亡犯は早晩、捕まります。

宮内 主人公が初日にいきなり高級ホテルに泊まってしまうのも、結果的には逃げ切るために必要でもあって。

島田 そうですね。早く所持金ゼロにして、逆境に慣れるレッスンを始めなければならなかったわけです。

宮内 それが功を奏するんですよね。

島田 野宿って最初はすごく壁がある。勇気が要るし、やっぱり怖いんですよ。ちょっとした物音が気になったり、最初の三日間は眠れない。変なプライドも邪魔するでしょう。ゴミ漁りも、プライドが邪魔している間は踏み切れない。

宮内 開高健が『輝ける闇』で一冊書いて得たような結論をさらっと……。

島田 また意地悪いこと言って(笑)。

宮内 気になったのですが、神社って作れるものなんですか。

島田 気がいいと感じたら、そこに作ればいいんですよ。神社の最も古い形態は森の中の岩とか樹木を祀ることですから。子供の頃から基地とか、隠れ家とか作って自分の既得権を主張して居場所というか隙間を見つけて籠もったりしたでしょ。それをテーマに街をふらふらしてみると、無性に唾つけたくなるというか、犬みたいにマーキングしたくなる。

宮内 男の子心をくすぐられたのは「カローラ城」です(笑)。

島田 壁と屋根を自分で作るのはかなり手間がかかるから、車が捨ててあると本当に有難い。

宮内 郊外ならではですか。

島田 うちの近所にも3台あったんだけど、廃車があると必ずフロントガラスを割りたい奴が出てくる(笑)。

宮内 そうか、あれは「新品」の廃車だったのですね。

島田 今夜寝る場所を探して測量すると、普段は気づかないものが見えてくるんですよ。

宮内 「測量」という語も面白かったです。

島田 これはカフカの用語ですけど、測量の眼を持つと、街の歩き方も変わってきますよ。自分だけの地図ができる。

宮内 「リサイクル」という言葉もよく使われていましたね。「拾う」とは言わずに「リサイクル」で、戸籍もリサイクルできると。都市の中で循環していくもの全て対象なんですね。

島田 そうですね、東京やその近郊では狩猟採集生活が成立します。ライフスタイルがカラスに似てくるんですよ。私の家は多摩丘陵にあるのだけれど、東京に狩猟採集に行くカラスの住処なんです。夜になると通勤で20キロ位飛んで繁華街に出没して明け方戻ってくる。ホームレスの時間的ニッチとカラスの時間は重なるんです。

宮内 なるほど。

都市を書くということ

宮内 『ヨハネスブルグの天使たち』を書いて、各地の都市を扱っているうちに、予測できないような人の営みが最強だと感じるようになったんです。そうした営みの結果生まれるものがある。

島田 都市に暮らすことについては、『ヨハネスブルグの天使たち』も東京の板橋区を含む都市を舞台に、とても人間的なロボットを通じてそれぞれの都市の特徴を浮き彫りにする試みで非常に面白かった。まあニューヨークと板橋は住んだことがあるでしょうが、他は?

宮内 ヨハネスブルグは怖くて行っていないです(笑)。ジャララバードとハドラマウトは行ってます。最初は想像力だけで書きたかったんですけれど。

島田 私は『ニッチを探して』で書いたところは全て行ったけれど、いざ書く段になると記憶が曖昧だったりする。それでグーグルアース使ったり、再訪したりして裏を取りました。

宮内 でもあくまで自分で取材するのが最初なんですね。

没落時代の「リハビリ」

宮内 最近お気に入りのニッチは、明かしていい範囲ではどこですか。

島田 モツ焼きにはまっている北区中毒の建築家が登場しますが、あれは半ば自画像です。北区は結構好きで出かけますし、永井荷風のひそみに倣っているわけじゃないですが、向島など墨東の方もフラフラしています。中央線で言うと私は中野が好きでよく出没してますね。宮内さんは?

宮内 私もあの作らない建築家には結構共感してしまいました。中野で言えばブロードウェイの横道とか好きです。吉祥寺で言えばハーモニカ横丁とか。

島田 シャッター通りの進化形ですね。世代交代がうまく進むと、ああなります。

宮内 ちょっとお洒落になって、あまりニッチ感がなくなってきてます(笑)。

島田 近頃テレビ番組でも「ブラタモリ」とか「モヤモヤさまぁ~ず」とか「酒場放浪記」などの非常にゆるーいオフビート感溢れる徘徊ものが流行っているでしょ。バブルの時と対極ですね。やっぱりみんな、もう成長を見込めなくなった時代のライフスタイルを無意識に選択しているんだと思う。

宮内 だから積極的に没落をして、身の丈にあったソフトランディング的な処し方を選ぶということですか。

島田 進化はもう止まっていてむしろ退化の方へ折り返しちゃっている状況が長く続いている。そういう時に人間としての潜在能力を高めるためのリハビリをしておくかどうかが鍵です。追い詰められ、一度本気になってみないとわからないことは多い。

宮内 本書でも最後の方で「リハビリ」について触れられていましたか。この野宿生活に意義があるとすれば、いざその時が来ても右往左往しないという成果があったと。この主人公はものすごく追い詰められますけど、飄々としていますね。

島田 人は追い詰められてこそヒューモアに目覚めるようです。厳しい環境で生き続けるためにはどこかで気を抜いたり、楽しみを見つけたりしないと、壊れてしまう。実は真面目な人の方がストレスを抱え込み、先に死んでしまうんです。

宮内 はい、なるほど。だからこの主人公の駄洒落は下らないんだけど、面白いんですね(笑)。

 (みやうち・ゆうすけ 作家、しまだ・まさひこ 作家)

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