書評

2013年9月号掲載

また始めました

――橋本治『初夏の色』

橋本治

対象書籍名:『初夏の色』
対象著者:橋本治
対象書籍ISBN:978-4-10-406114-3

『初夏(はつなつ)の色』は、私の復帰第一作のようなものです。
 二〇一〇年の秋にめんどくさい病気に罹って入院して、退院したのが東日本大震災の起こるちょうど一月前の二月です。短い連載なら病院のベッドの上で書いてましたが、ある程度以上の分量になると無理で、退院と同時に中断したままの連載を完結させて、それでエネルギーが切れてダウンしました。
 東日本大震災が起こった時には頭が朦朧としていて、でも「これは小説に書かなきゃいけないんじゃないか」とだけは思ったんですが、その内に余病で脚が痛くなり、年内一杯はろくに歩くことが出来なくなりました。
 その一年の私はほとんど使いものにならず、机に向かって十五分もすれば頭がボーッとなってしまうような状態だったので、さすがに「これではやばい」と思って、出来ることから少しずつ仕事を始めました。
 編集者は、私に「長篇小説を書け」と言いますが、私の頭はまだボーッとしていて、長いものを構想すること自体が無理です。「体力がなくなると、ホントに自分はなんにも分からなくなるな」と思いましたが、世の中を見る目のピントが合わなくなって、視界不良好です。
 でも、別に病気にならなくても、体調が悪くなくても、視界不良好になることはいくらでもあります。そう簡単に全体を見通せるわけじゃありませんから。それで私は、「困ったな、よく分かんないな」と思うと、短篇小説を書きます。一人の人間にスポットを当てて、「この人間の生きているちっぽけな状況の先に世の中があるわけだし――」というような考え方です。それは、「長篇小説を書くための、登場人物のワークショップ」のようなものですが、よく考えると私は、こういうことを結構やっています。「今、普通の人達って、どうなってるんだろう?」と考えるためで、『初夏の色』に収められた、退院から一年たって書き始められた短篇小説も同じです。
 作品の背後には、東日本大震災があります。でも、私が書きたかったものは「東日本大震災」そのものではなくて、「東日本大震災をどこかで経験してしまった日本人」です。だから、たいしてドラマチックなことは起こりません。
 実は阪神淡路大震災が起こった時にも、これをテーマにした小説を書こうとしました。一人の若者が「こんな世の中ぶっ壊れてしまえばいい」と思っていて、それが突然現実のものとなって惘然とし、やがて復興の社会参加へ向かって行くということが骨子となるはずでした。阪神淡路大震災の年はオウム真理教事件の起こった年で、はじけたバブルの余韻はまだ残り、日本人の精神状況も荒廃して不安定になっていると思っていたのでそういうことを考えたのですが、その予定は慌しさの中で消滅しました。
 そういう経緯があったので、東日本大震災の時も「書かなきゃいけないんじゃないか」と思ったのですが、どういうわけか考えがまとまりません。体力がないまま一年間ボーッとしていて、『初夏の色』の第一篇である「助けて」を書いて、それからしばらくして「もう阪神淡路大震災の時のような考えじゃだめだ」と思いました。原発事故まで発生させた、より規模の大きい千年に一度の大災害だからだめというのではなくて、「日本人は微妙な変わり方をしてしまった」あるいは「日本人はもう変わらざるをえない」というように感じてしまったのです。「そういうことを書こう」と思ったわけでもなく、東日本大震災の前年に入院してから頭がボーッとしている状態が続いている内に、自分の方が変わってしまったということに気がついただけですが。
 五篇を書いて「これで単行本に」という段階で、単行本の編集さんから、「もう一篇ありという可能性はどうですか?」と尋ねられ、元々そこで迷ってはいたのですが、結局もう一篇書き足しました。家族が食卓に揃って晩飯を食べているだけの「団欒」という、いたって短い作品ですが、他の五篇がバラバラの個人を書いているものばかりだったので、「最後、食卓に人を集めよう」と思った結果です。これが意味があるように、日本人は変わったんじゃないかと思います。

 (はしもと・おさむ 作家)

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