書評
2013年9月号掲載
虚実のおもしろさ、仏教の核心
――梓澤要『捨ててこそ 空也』
対象書籍名:『捨ててこそ 空也』
対象著者:梓澤要
対象書籍ISBN:978-4-10-121181-7
空也といえば、京都の六波羅蜜寺に蔵されている、康勝作の空也上人立像がすぐにわたしの頭に浮かんできます。その口から六体の阿弥陀仏が飛び出ているという、とてもユニークな立像です。民間を遊行して歩いた念仏聖の面影をよく伝えています。
念仏の教えといえば、われわれは、法然と親鸞を思い出します。平安末期の混乱期にあって、苦労に苦労を重ねて生きる庶民に、ただ「南無阿弥陀仏」と口に称えるだけで救われると説いた法然。そしてその弟子の親鸞。それまでの仏教は貴族のための仏教であり、金銭・財物を寺に寄進することによって救いがあるとされていました。だから、金持ちだけが救われ、貧しい庶民は仏の救済にあずかることができません。そうした仏教に対して、法然や親鸞がただ念仏だけで救われると説いた。だからその念仏の教えは庶民のあいだに燎原の火のごとくにひろまった。わたしたちはそのように教わってきました。
それはそれでまちがいではありません。
でも、念仏の教えといえば、法然よりも二百年以上も昔に、すでに空也(九〇三―九七二)が説いているのです。空也は、わが国の念仏の教えの祖師と呼んでよい人物です。
彼は念仏を称えながら諸国を遊行遍歴し、各地で井戸を掘り、橋を架け、また遺棄された死骸を火葬にしたりしています。三十六歳のときに京都に戻り、市中で乞食(こつじき)し、貧民に食を与える等の活躍をしました。だから彼は「市聖(いちのひじり)」「阿弥陀聖(あみだひじり)」と呼ばれています。
空也と同時代に、あの『往生要集』の著者の源信がいます。源信も浄土教の理論的基礎を築いた人ですが、源信は貴族を中心とし、空也のほうは庶民を中心に浄土教を弘めました。
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解説がちょっと長くなりましたが、このたび女流作家の梓澤要さんが、この空也を主人公とする歴史小説『捨ててこそ 空也』を上梓されました。なかなかおもしろい小説です。これまで空也の生涯は歴史小説として描かれたことがなく、梓澤さんが先鞭(せんべん)をつけられたことになります。
空也の出自は不明です。醍醐天皇の皇子説が有力ですが、梓澤さんは皇子説に立脚しておられます。また、空也と平将門の生年が同じであるところから、二人を坂東の地で遭遇させるというフィクションを創作しておられます。歴史小説は「小説」なんですから、こういう創作も許されるし、またそういった虚構がなければ真の意味での小説にはなりません。わたしは楽しく読ませていただきましたし、また読者もきっと梓澤ワールドに魅せられると思います。
ともかく、小説はおもしろくなければならない。わたしはそう思います。そして梓澤さんの『空也』は、まちがいなくおもしろく読める小説です。ぜひ手にとって読んでいただきたいと思います。
と同時に、空也はわが国で最初に念仏の教えを説いた仏教者です。では、仏教思想のほうはどうでしょうか。おもしろいだけの小説で、念仏の思想そのものが歪められていたのでは困ります。
でも、その点も大丈夫です。聞くところによると、梓澤さんは第18回歴史文学賞を受賞して作家デビューをされたのち、仏教学を学ぶために東洋大学大学院に入学されたとか。だから、空也の念仏の教えもしっかりと書かれています。
《心から仏の御名を呼んで願うだけで、どんな者にでも救いの手をさし伸べてくださる。南無阿弥陀仏というのは、阿弥陀仏よ、あなたさまにおすがりします、という叫び声なのだよ》
《念仏は修行ではない。ましてや、苦行であってはなりませぬ》
わたしは、梓澤=空也が語る数々の言葉に深く感動しました。貧しき人々の間で生涯を送った「市聖」の言葉に仏教の核心が熱く息づいています。
(ひろ・さちや 宗教思想家)