書評
2013年9月号掲載
負担の論争から将来をめぐる論争へ
――清水真人『消費税 政と官との「十年戦争」』
対象書籍名:『消費税 政と官との「十年戦争」』
対象著者:清水真人
対象書籍ISBN:978-4-10-120326-3
清水真人氏は、首相官邸を中心に、政策決定に奔走する政治家や官僚の姿を描いてきた。とりわけ小泉純一郎首相とそれ以降の自民党政権、政権交代後の民主党政権に至るまで、政府・内閣と政権与党という二つの権力が、相互に影響を及ぼしながら意思決定を積み重ねる「政府与党二元体制」のもとにあることが、鮮やかに描き出されている。
これまでの著書が、いわば「政権」を分析単位としてきたのに対して、『消費税』では、消費税増税という単一の課題に焦点を当て、小泉政権以降の約十年にわたる政治過程を追っている。そこでは「政府与党二元体制」という分析のモデルはもはや後景に退いている。代わって焦点が当てられているのは、政党や政治家の消費税に対する「コミットメント」、すなわち消費税を増税する、あるいは据え置くということを明言し、その言葉に対して責任を負うという態度である。
日本のように政府の支出(これは国民へのサービスでもある)が税収入を大きく上回るとき、国民に対して負担を求める必要が出てくる。債務が増えすぎて政府の信用が失われると、それ以降新たに政府が借金をすることが難しくなるからだ。これは現在の日本のように借金に頼って予算編成を行う国では死活的な問題である。債務の膨張を抑えて信用を維持するには、サービスの切り下げあるいは増税という国民負担が不可避となるが、政治家は、国民に対して負担を求めることを本来的に避けようとする。重い負担を課す政治家は国民の支持を失い、選挙で敗北する可能性が高まるからである。
清水氏が描く小泉政権末期からの消費税増税をめぐる政治過程は、国民負担へのコミットメントに多くの政党や政治家が巻き込まれていく過程である。国民負担を嫌う政党・政治家に対して、政府は法律によって将来の政策選択を縛り、政党間合意によって政党という単位で増税へのコミットメントを確保しようとするのだ。
民主党の多くの政治家がそうであったように、当初国民負担へのコミットメントを行わなかった政治家でも、不確かな経済成長や政府内での「ムダ」の削減のみに期待して、政府の信用を維持しようとするのは難しい。自らが政権の中枢に参画するにつれて何らかのかたちで国民負担を求めざるを得なくなっていく。他方で、中枢に入らない政治家たちは、国民に負担を強いるとして政府を繰り返し攻撃する。政権を縛っても、政党という単位で縛りをかけても、個人として増税に反発する議員は生まれ、しかも選挙のたびに増税に反対する新党や新たな議員が供給され、対立が繰り返される。
このような対立は不毛なものに見える。しかし、消費税増税という国民負担へのコミットメントが抱える最大の困難は、それが既に約束されてきた社会保障給付を支払うための増税であり、いくら「機能強化」を謳っても実質的なサービスの拡大があまり伴わないことだ。増税しても、以前の政権が行なってきた給付拡大という約束――これも実に重要なコミットメントである――を粛々と実行するに過ぎないのである。これまでの決定に責任を負わない政治過程への新しい参加者であれば、それに反発するのは不思議なことではない。
清水氏は、消費税をめぐる政治過程を、消費税増税という単独の国民負担の問題から歳出歳入一体改革とそれを引き継ぐ社会保障と税の一体改革という将来の給付とそれに見合った負担の問題という枠組みへの転換として描き出す。この転換は、不毛な対立を止揚して国民「負担」だけでなく国民の「将来」へのコミットメントを政治家に求めるものかもしれないが、その前途も平坦ではない。ちょうど現下の民主党のように、今度は増税に合わせて社会保障の新たな給付を主張しようとする動きも出てくるからだ。
それでも二〇一三年の参議院選挙の結果によって、この十年の消費税論議は間違いなくひとつのクライマックスを迎えることになる。自民党が参院選に勝利して「ねじれ」を解消し、今まさにこれまでのコミットメントが試される立場にあるからだ。仮に自民党が今回消費税増税を延期するとしたら、今までとは異質の政治過程が出現することになるだろう。そして、まさにそのことを裏書するのが本書なのである。
(すなはら・ようすけ 大阪市立大学大学院法学研究科准教授)