書評・エッセイ

2013年9月号掲載

もう一つの教科書問題

川島幸希『国語教科書の闇』

川島幸希

対象書籍名:『国語教科書の闇』
対象著者:川島幸希
対象書籍ISBN:978-4-10-610534-0

 近年、日本で「教科書問題」と言えば、それは「歴史教科書問題」とほぼ同義であり、日本近代史の記述を巡る議論がしばしば社会で話題になります。ところが歴史以外にも、重大な問題を孕んでいると思われる教科書が存在します。それは高校の国語の教科書です。
 皆さんは「定番小説」という言葉をご存知でしょうか。実は現在の国語の教科書は、どの出版社も同じ作品ばかり掲載しています。例えば、高校一年生の必修科目「国語総合」の教科書には、なんと各社すべてに芥川龍之介の「羅生門」が収録されているのです。他にも夏目漱石の「こころ」、森鷗外の「舞姫」など教科書の指定席を占めている小説は多く、必然的にどこの出版社の教科書も没個性となり、学校サイドがどれを採択しても、たいして違いはありません。実質上、教材の選択権を奪われている教員の中には、不満を抱いている人もいますが、どうすることもできないのが現実です。
 この事態に驚いて調べてみると、不思議なことがわかりました。「羅生門」も「こころ」も「舞姫」も、戦前は教科書に一度も採録されたことがなく、戦後のある時期を境に登場し、そして平成以降一気に定番化が加速していたのです。なぜ教育の世界でも多様化が進む現代において、教科書だけが金太郎飴のようになってしまったのか。教科書会社の編集者や高校の教員に聞き取りを行った結果、浮かび上がってきたのは教科書制作現場の意外な舞台裏でした。
 そして、定番小説にはさらに大きな問題が存在します。それは、そもそも教科書の教材として相応しいのか、ということです。ほとんどの定番小説に共通するのは、暗いこと、死の臭いがすること、結末に救いがないことだと思います。「舞姫」を読んだ生徒、とりわけ大多数の女子生徒が抱く感想は、妊娠した少女を捨てて帰国した主人公への生理的嫌悪感であり、著者の鷗外への決定的な負のイメージさえ抱くようになるのです。
 今年度から施行の学習指導要領で、国語の教材は「人間性を豊かにし、たくましく生きる意志を培うのに役立つこと」と明記されていますが、現在の教科書の教材で子ども達の「人間性が豊かに」なると考えるのは楽観的にすぎるでしょう。むしろ、毎年小説嫌い、読書嫌いを教科書が量産している気がしてなりません。
 なるほど自国の歴史、とりわけ近代史を教科書でどのように記述するかは、極めて重要な問題です。しかし、子どもたちが「生きる力」を養う国語の教科書が、むしろマイナスの効果をもたらしているとしたら、それは「もう一つの教科書問題」と呼んでも過言ではない気がします。
 本書をきっかけとして、読者の皆様がかつて学んだ教科書の記憶を呼び戻したり、我が子の使う教科書を捲ってみることで、国語教科書問題へ関心を向けていただければ、これに勝る喜びはありません。

 (かわしま・こうき 秀明大学学長)

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