インタビュー
2013年10月号掲載
『沈むフランシス』刊行記念特集 インタビュー
感覚をことばで表現すること
対象書籍名:『沈むフランシス』
対象著者:松家仁之
対象書籍ISBN:978-4-10-332812-4
――読売文学賞を受賞なさったデビュー作『火山のふもとで』は長野県の浅間山麓が舞台でした。『沈むフランシス』では北海道東部の湧別川のほとりを描かれていますね。
小学生のときから北海道が好きで、北海道の輪郭を一筆書きで描くのが得意でした。原野があって、乾いた雪が降って、ヒグマもいて、エゾシカもいて、サケもいて……こう並べるとあまりにイメージが貧困ですね(笑)。空気感も景色も、ちょっと日本離れしているし、北海道にもいろんな人がいると思いますけれど、どこか大陸的というか、鷹揚というか、沖縄の人に似たやわらかさを感じます。
――主人公は、東京での仕事を辞めて、中学時代に父の転勤で暮らしていたこの地方にもどってきた三十代半ばの女性です。
今回は女性を主人公にしたかったんです。総合職として働いていた女性がなんらかのなりゆきでドロップアウトする。そのあとをついていくようにして書いていきました。働く男のストレスは、待遇や肩書きであっけなく解消することがありそうですが、女性はあきらかにもっと複雑です。男の悩みはあまり文学的ではない(笑)。
――非正規雇用の郵便局員になったこの桂子という女性は、村のすみずみを郵便配達車でまわるうち、川のほとりの木造家屋に暮らす和彦という男に出会います。この男がなぜこんなところに住んでいるのか、最初はわからない。この世にあるさまざまな音がここで描かれ、和彦の複雑さを暗示します。
生の音ではない録音された音、というものを初めて意識したのは、1960年代の家具調ステレオの付録の試聴用レコードでした。お祭りの音とか機関車の音が左から右へ動く。スピーカーの向こうに世界があるようで、子ども心に驚いた。人間が世界とつながる方法はいろいろある――と言葉で思ったわけではありませんが、いま思えばそういうことでしょうか。
――『火山のふもとで』では、建築物の描写が本当に見事でしたが、今回は、音をことばでどう伝えるかが試みられているように感じます。蒸気機関車がやってきて走り去る音、アラスカの氷河、シカゴの老舗ホテルのレセプション……ありありとその場所と空間が立ち上がってくるのに驚きました。
空調のあるビルのなかにいると、下界の音はもちろん、匂いも湿度も温度の変化も気づかないまま一日が過ぎてしまう。人間の五官は、必要があって備わっているものです。あまり使わないでいると、忘れてしまう。なまなましい感覚を言葉で表現できないか、最初から最後までずっと考えていました。
――出会った当初、正体不明だった和彦は、むろん高等遊民などではなく、川べりのある施設の管理人をしています。
グライダーとか、凧とか、犬ぞりとか、チャイニーズ・ランタンとか、自然の力を利用して動かすものに興味があります。夜間警備とか、マンションの管理人とか、ひとりで淡々とこなす仕事も好きなんです。和彦はあまり他人と接することなく暮らしていたいと思うようになった男ですから、人家から離れた場所でのこういう仕事が向いていると思いました。
――この二人が出会って恋愛が始まるのですが、始まり方がやや唐突で、そのぎくしゃくした感じがとても面白いですね。
恋愛はつねにぎくしゃくするものじゃないですか? だから恋愛には言葉が邪魔だというピエール・ド・マンディアルグの『海の百合』みたいな小説もある。ふたりとも三十代だし、人を深いところで動かす感覚をこそ描きたかったので、恋愛のかけひきを思い切ってショートカットしてみました。
――自然描写がすばらしいです。とくに初雪が降り、根雪になって、すべてが白く覆われ、やがて永遠と思われた冬が終わるまで。北海道のむきだしの自然が肌に迫る感じがします。もうひとつ印象的なのは桂子と和彦のセックスシーンでした。
五官を総動員する行為の、最たるものですから。
――桂子に示唆を与える老人たちも魅力的ですね。
それは、書き手自身の志向ですね。長年生きてきた人の話はどうしたっておもしろい。言葉も、長年をかけて、五官によって鍛えられてゆく部分があるはずです。
――装幀の犬の写真、意外に思う読者がいるかもしれません。
小畑雄嗣さんの写真集『二月』からお借りしたのですが、小説のなかで描いた犬がここにいるようでした。鼻のうえにのっている小さなものを、ぜひ見ていただきたいです。
(まついえ・まさし 小説家)