書評・エッセイ

2013年10月号掲載

波乱万丈を演出する運命の振り子

――ジェフリー・アーチャー『死もまた我等なり クリフトン年代記 第2部』上・下(新潮文庫)

山口香

対象書籍名:『死もまた我等なり クリフトン年代記 第2部』上・下(新潮文庫)
対象著者:ジェフリー・アーチャー著/戸田裕之訳
対象書籍ISBN:978-4-10-216135-7/978-4-10-216136-4

 いつ頃からか、小説はほとんどといってもよいぐらいに海外のものを読む。柔道選手としてコーチとして試合や合宿で訪れた国は30カ国以上になる。人から見れば海外通と映るだろうが実際には、どこの国に行っても空港からホテルに直行し、練習場、試合会場、ホテル近くのスーパー程度の限られた行動範囲なのが実態である。団体行動が多く、現地の人と接する機会は限られ、その国の文化や風習を肌で感じることがない。海外小説が好きなのは、登場人物を通して国や文化、時代による社会の違いが見えてくるからだ。ちょっとした会話から、日本人とは違う考え方や思考回路、価値観が透けて見えることもある。私は海外の友人に「ユーアーノット、ティピカルジャパニーズ!」と形容されることが多い。日本人の標準からすれば規格外らしいが、ジェフリー・アーチャーの作品に登場する人物の奇想天外な行動にはとても及ばない。
 時代は第二次世界大戦、舞台はアメリカとイギリス。主人公であるハリー・クリフトンの恋人であり、彼の子供を産んだ勇気ある女性エマは恋人の消息を探るために単身アメリカに渡る。女性が腹を据えてかかったときには大きな壁にも風穴をあける力を持つ。彼女を助けるフィリス大叔母も魅力的だ。アメリカに渡ったから保守的な考えに囚われず進歩的な考えになったのか、そういう人だからアメリカに渡ったのかはともかく、チャーミングという言葉がぴったりの女性だ。女性が闘いを挑む時、腕力はつかわない。断固たる決意を優雅さというベールに隠して、したたかに且つ大胆に行動すべきと教えてくれる。現代においても女性が思うままに生き、自らの人生を切り開くのは難しいと思うことがある。身近なロールモデルも少ないが、エマやフィリスのような時代や環境をエクスキューズにしない生き方に憧れる。
 ハリーやジャイルズを取り巻く人間関係も興味深い。ハリーの刑務所生活ではオックスフォードにも負けない師を得て、ジャイルズの軍隊生活では身分の違う人間がかけがえのない戦友となる。人間というのは自分が思う以上に環境に支配され、住む世界がいかに狭いかを思わずにはいられない。物語の前半では、登場人物たちの人生の歯車が狂ったかに見えるが、実はそこにこそ彼らの人生があった。人は皆、保守的で、安全なテリトリーの外へ自分から進んで出ることが難しい。金持ちや有名人、チャンピオンなどの成功者は振り子に例えるならば、振り幅の大きい人生といえる。成功している時の絶頂が高ければ高い程、反対側に振れたときの喪失感も大きい。振り幅の小さい、そこそこの人生がいいのか、振り幅の大きい成功者の人生を選ぶかはそれぞれであり、望んでも手に入らないことがほとんどだ。成功者の多くは、自分の振り子が負に振れることを予測もしていない。ジェフリー・アーチャーもまた波瀾万丈の人生を送ってきた。獄中のシーンは自身の服役した経験が生かされているのだろう。彼の描く世界は、振り子が負に振れたところから物語が始まるケースが多い。そして、ベストだと思っていた環境がそうではないかもしれない、奈落の底に突き落とされても、運命を受け入れて開き直れば、そこには意外と思った以上に素晴らしい世界があるかもしれないと思わせる。窮鼠猫を噛むというが、人間は追いつめられてはじめて、その人間の隠れた才能や能力を発揮できるのかもしれない。物語はフィクションだが、彼の人生そのものがそのことを証明してきたともいえる。
 いつも通り、読み始めたら一気に読んでしまったし、満足感はあった。少し意外だったのは、ハリーとエマの再会のシーンだろうか。彼の作品の特徴は複数の人物の人生が丁寧に描写される点だろう。違う人生を生きているかに見えた人間たちがどこでつながってくるのか、重なるのかがエンディングに向かっていく醍醐味だ。今回のそれは比較的あっさりとその時を迎えてしまい、エンディングも意味深であった。人気のあるドラマでも終わりの部分で評価が分かれることは多い。ジェフリー・アーチャーも歳をとって書くのに疲れて強引にまとめてしまったのかな、などと勝手な想像もしたが、物語はまだまだ続くようで嬉しい。是非とも続編を楽しみに待ちたい。

 (やまぐち・かおり 柔道家、筑波大学准教授)

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