書評

2013年10月号掲載

研究者としての生き方

――藤井直敬『拡張する脳』

石黒浩

対象書籍名:『拡張する脳』
対象著者:藤井直敬
対象書籍ISBN:978-4-10-334731-6

 ぼくにとっては、全てが自然に伝わってくる本で、あっという間に読みました。
 藤井さんは、Substitutional Reality=SR(代替現実)、つまり「もうひとつの世界」と、現実である「この世界」のあいだで視覚と聴覚を切り替えて、乗っ取る「SRシステム」を開発しました。視覚と聴覚をハックする道具は、360度全方位にわたって撮影できるパノラマビデオカメラとヘッドマウントディスプレイ(HMD・頭部装着型表示装置)です。実は、ぼく自身パノラマカメラの研究で博士号をとりました。全方位カメラや360度ディスプレイを製作したり、グーグルよりも10年ほど前にストリートビューのシステムを開発したりしており、カメラについては特許をとるほどでした。当時はカメラの解像度がまだまだ低く、処理能力の限界も含めて早すぎましたが、ヴァーチャル・リアリティを作ろうとしていたんです。すごく親近感がわきます。
 ただ、その後、ぼくは、社会性を考えていくうちにロボットの方向に進みました。人間の機能面は、ある程度機械に置き換えられるかもしれませんが、それではロボットになくて人間にあるもの、人を人たらしめているものは何でしょうか。人は人を映し出す鏡であり、人と関わらずして人は人になれない。人との関わりで社会的な関係を持つから、心を感じることができるし、心や人間とは何かを考えることができる。だから自分と同じ姿とふるまいを持つ「ジェミノイド」というアンドロイドをつくり、“自分ではない自分”を社会に置くことでなにが起こるかを追究したのです。
 この「社会性」に対する考え方も、藤井さんとは共通します。それは、実験室の限定された条件下で再現しうるものではなく、さまざまな状況で、あとにも先にもないこの今という刹那的な社会で起こる「一回性」で考える点も共通しています。それをぼくはロボットで突き詰めていこうとし、藤井さんはサルで考えていかれようとしたわけです。
 普通なら『つながる脳』で書いたところで話は終わるのに、社会性という基本問題を解くために、藤井さんはSRシステムまで生み出しました。モニター画面を一日中見ているような人からしたら、リアリティは曖昧になっていきますが、なにしろ藤井さんのエイリアンヘッドは、見事にその曖昧さを再現できます。その発想力と柔軟さに強い共感を覚えます。チャレンジ精神がありますよね。
 ぼくのアンドロイドは物理的なSRシステムで、藤井さんのHMD、「エイリアンヘッド」は、視覚的なSRシステムだといえるかもしれません。だから、アプローチは違うけれど、目指している山は同じなんだと思います。
 藤井さんとは古いおつきあいで、もう10年も前から知っています。同じ「社会性」を追究するもの同士、切磋琢磨し合って、というほど美しくもありませんが、ウマが合う。それに、年齢も近いですし、車好きでもあるし、ツイッターでつぶやいているし、なんだか似ている気もします。「社会性」や「一回性」という基本問題を考えるためにいろいろなアプローチをしていく姿勢もそうです。たまにご一緒しても、似すぎていてイヤなくらい(笑)。東京と大阪という距離もあって、まだ実現していませんが、共同でなにか研究してみようという話もしています。ずいぶん前から一緒にやろうよと言っているんです。たとえば、サルがアンドロイドを動かしたらどこまで人間らしくなるか。おもしろいでしょう?
 でも、そんな尊敬する仲間だと感じる関係だからこそ、ときに行き詰まることもあるだろうと想像できます。大きな基本問題を解明するためには、ひとつの分野でのアプローチには限りがある。専門バカになってもしょうがありません。試行錯誤して、「基本問題に忠実になるためにはなんでもやる」という姿勢は本書でも貫かれており、ぼくはこの一冊を藤井さんの「研究者としての生き方」を書いた本として読みました。社会の中でこそ人間の不思議は生まれてくる。すべてのなぞは社会にある。その答えに通じる扉の鍵のありかを教えてくれる――そんな研究者としてその根底にある深い興味を感じさせてくれます(談)。

 (いしぐろ・ひろし ロボット学者)

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