書評・エッセイ

2013年10月号掲載

「ツベルクリン検査」と「世界一周」の関係

――熊田忠雄『世界は球の如し 日本人世界一周物語』

熊田忠雄

対象書籍名:『世界は球の如し 日本人世界一周物語』
対象著者:熊田忠雄
対象書籍ISBN:978-4-10-305774-1

 交通や通信手段が未発達な時代、言語、気候風土、生活慣習も異なり、頼るべき同胞もいない地へ敢然と足を踏み入れた日本人がいた。そんな名もなき日本人に興味を抱き、その足跡を追い求めるようになってから十年余が経つ。
「なぜそういうことに興味を持つようになったのか」と、わたしは出会う人たちからしばしば尋ねられる。その時、わたしは落語の三題噺ではないが、三つの言葉を示しながら、興味の原点を説明することにしている。
 三つの言葉とは「ツベルクリン検査」、「夏の図書室」、「ポルトガル」である。もちろん相手は皆「何、それ?」と、怪訝な顔をする。それでは三題噺の謎解きを始めることにしよう。
 まず「ツベルクリン検査」。これは結核菌感染の有無を調べるもので、「BCG」とともにわれわれの世代には耳懐かしい言葉である。あれは小学校四年生の頃だったろうか。その年のツベルクリン検査で、わたしはどういう具合か陽性と判定され、ひと夏、水泳を禁じられた。と言っても実際に結核に感染したわけではなく、通常の生活を送っていたが、当時の医学界の考えでは、陽性反応の出た者は激しい運動は控えるべきということのようだった。
 夏休みに入り、友達が学校のプールへ通い始めると、遊び相手がいなくなるため、仕方なくわたしも学校へ足を運んだ。ある日のこと、校庭に面した図書室から一人の女教師が出て来て、プールを眺めていたわたしに声を掛けた。
「キミもプールに入りたいんだね。今年我慢すれば、来年はきっと入れるよ。今年は図書室でたくさん本を読もうよ」
 その日を境に連日、図書室へ向かうようになった。当時わたしを夢中にさせたのは、コロンブスやマゼランなど大航海時代の英雄たちの伝記だった。中でもヨーロッパからインドへ達する航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマに魅せられた。
 地球儀を指で回しながら、あんな大陸の端っこにあるちっぽけな国から、よくも遥か遠いアジアの地へ行こうと思ったものだと感心し、やがてその国の人間が日本にも現れたことを知ってポルトガルという国に俄然興味を覚えた。そして夏休みが終わる頃には、大きくなったら絶対にその国へ行くのだと思い込むようになっていた。
 その夢がやっとのことで実現したのは、なんと五〇に手が届く頃だった。日本から飛行機を乗り継いで首都リスボンに着くと、市内見物は後回しにして、まずロカ岬へと向かった。「ここに陸尽き、海始まる」と、この国の詩人ルイス・デ・カモンイスが詠んだユーラシア大陸最西端の岬に何はさておき、立ちたいと思ったからだ。
 断崖上の広場の岩に腰を掛け、眼下に広がる大西洋の大海原を眺めていた時である。ふとある疑問が頭をよぎった。一五四三年に種子島に現れたポルトガル人たちも最初はこの海から出掛けて行ったはずだ。逆に日本人で初めてこの目の前の海に姿を見せたのは、いつ頃、どんな人物だったのだろうかと。
 帰国してから調べてみると、その人物とは“ベルナルド”というあのフランシスコ・ザビエルの弟子のクリスチャン青年で、ポルトガル人の日本到着から一〇年後のことであることが分かった。
 そうか! ベルナルドのように歴史の表舞台には登場しないが、われわれが想像もしない時代に、思いも寄らぬ地へ渡った日本人がほかにもいたはずだ。そんな日本人たちを探し出し、彼らの人生を辿ってみよう。ロカ岬で浮かんだ小さな疑問が、執筆へと向かわせた瞬間である。
 以来、世界各地へ渡ったご先祖様たちの軌跡や、初めて渡航したサムライたちが口にした洋食との格闘記などを何点かの著作にまとめた。今回、上梓するのも関連テーマで、『世界は球の如し 日本人世界一周物語』と題するものである。古来、世界一周を果たした日本人がそれぞれの時代、行く先々で何を見、何を思い、何を考えさせられたのかを追った。いつの時代にも外の世界を見ることで自国を客観視できる賢人がいた。改めてご先祖様を見直した。

 (くまだ・ただお 文筆家、元ニッポン放送取締役)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ