書評・エッセイ

2013年11月号掲載

『村上海賊の娘』刊行記念特集

最強の“あまちゃん”海賊

――和田竜(りょう)『村上海賊の娘』(上巻・下巻)

呉座勇一

対象書籍名:『村上海賊の娘』(上巻・下巻)
対象著者:和田竜
対象書籍ISBN:978-4-10-134978-7/978-4-10-134979-4/978-4-10-134980-0/978-4-10-134981-7

 織田信長の最大の強敵。それは武田信玄でも足利義昭でもない。全国の一向宗門徒の上に君臨した石山本願寺である。信長と本願寺の十年間にわたる死闘は「石山合戦」と呼ばれた。   
 本書は、この戦国最大の合戦を描いたものだが、そこは歴史小説界 の新星、和田竜である。覇王信長や 雑賀(さいか)衆の鉄砲大将・鈴木孫市を主人公に据えるような、ありきたりの話は書かない。瀬戸内海の海賊(海の武士)たちを束ね「日本最大の海賊」と称された村上武吉(たけよし)……ではなく、その娘、景(きょう)が主人公である。
 彼女は男まさりの武術を駆使して海賊働きにあけくれていた。しか し信長の急速な台頭により、戦国乱世は終わりを迎えつつあった。泰平の世に海賊の居場所はないだろう。最後の活躍の舞台を求めるかのように、景は石山合戦の渦中に飛び込んでいく。
 坂東武者、忍び、そして今回は海賊。デビュー以来、和田竜は、独自の価値観を持つ誇り高き自由人が、己の信念を貫くために天下人の巨大権力に挑んでいく姿を好んで描いてきた。特に、『のぼうの城』の、成田家が北条家に従って豊臣政権に敵対するという構図と、本作の、村上海賊が毛利水軍と共同して織田方と戦うという構図は、ぴったり重なる。
 もちろん、右の視点は和田竜のオリジナルではない。時流に抗い、敗れていった男たちをテーマにした歴史小説は多い。私が所属する日本史学界でも、つい最近までは、「明るい中世」が「暗い近世」に否定される、という歴史像が主流だった。大学でまじめくさった講義を行っている歴史学者たちは、存外ロマンチストなのだ。
 和田竜の真骨頂は、非常にスリリングな設定を作るが、それに溺れないところにある。凡百の書き手なら、「滅びの美学」を強調して、安っぽい感動を押し売りしてくるだろう。もしくは、英雄的な主人公が寡兵をもって大軍を破る痛快さだけがウリで読後に何も残らない薄っぺらなエンタメ小説にしてしまうかもしれない。
 和田作品は違う。合戦シーンは血湧き肉躍るものだが、決して華やかではない。むしろ残虐で凄惨ですらある。戦に臨む男たちは勝つためには、生き残るためには手段を選ばない。当時の史料を読んで「現実の武士は時代劇みたいに格好良くはない」と知っている私から見ても、彼らはあけすけなまでに打算的だ。本作では、武士の冷酷さ、戦争の非情さが今までの作品よりも鮮烈に表現されている。
 にもかかわらず、随所にユーモアが挟み込まれるのが和田作品のもう一つの醍醐味で、今回もたっぷり堪能できる。この辺りを漫画的な「軽さ」と見て批判する向きもあるが、逆である。本作に登場する男たちは、身過ぎ世過ぎのために命のやりとりをせねばならない己の運命をも笑い飛ばしている。戦場での諧謔は、乱世の無情を一層際だたせている。
 そして最高に愉快なのは、のぼう様や今回の主人公である景など、「武士の鑑(かがみ)」 とは程遠い異端者が、武士の精神を体現するという転倒だ。景は武芸こそ達者だが、女ゆえに本物の合戦に参加したことはない。戦にロマンを求 め、青臭い理想を振りかざす“あまちゃん”である。そんな世間知らずのおてんば姫が、戦争の苛酷な実態を目の当たりにしてなお、武士の「常識」を蹴飛ばして己の「正義」を命がけで実現しようとする。その無謀な挑戦に、海千山千の猛者たちが、敵味方問わず巻き込まれていく。それはお涙ちょうだいの悲劇でも、勧善懲悪の英雄譚でもない。「真実」のドラマである。
 私も中世史研究者の端くれなので、「ここは史実と異なる」と指摘しようと思えば、できないことはない。だが、歴史小説で大切なのは、細かい事実関係よりも、時代の「空気」をつかめているか否かだと思う。武士は自分の家を維持拡大するために戦うリアリストである。だが一方で彼らは、時に損得勘定を無視して狂気にも近い侠気を発揮する。このエートスこそが物語の真の主役であり、現代的で親しみやすい文体とは裏腹に、本作はまぎれもなく本格歴史小説なのだ。

 (ござ・ゆういち 歴史学者)

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