書評
2013年12月号掲載
井上ひさしの「せりふ」の力
――こまつ座編『井上ひさし「せりふ」集』
対象書籍名:こまつ座編『井上ひさし「せりふ」集』
対象著者:井上ひさし/こまつ座
対象書籍ISBN:978-4-10-302334-0
芝居のせりふは日常会話とどこが違うか。日常会話は特定の聞き手に直接言えばそれですむが、せりふは登場人物の中の聞き手に言うことを通して不特定多数の観客にも伝えなければならない。その分だけ、ことばの伝達力にエネルギーを加える必要がある。そのエネルギー源のいくつかの例を、井上ひさしのせりふを107個選んで編んだ本書を手がかりに、探ってみよう。
一、リズムとユーモアをゆたかにする。その結果せりふは親しみやすくなる。
芝居みると、皺がのびる、
腰がのびる、寿命がのびる。
のびる、というリズミカルなくり返しに、皺・腰と具体的な体の部分を続け、最後に寿命とおさめるところにユーモアが生じる。
二、メッセージを、高所から下々(しもじも)に教示するのではなく、弱者の味方になり開示する。
恋人にふられたら、
「よかった、女性が彼女一人じゃなくて」
とおもうこと。
これは落ちこんだ者への最高のアドヴァイスだろう。視点をちょっと変えれば、慰めや励ましの力を生むことになる。
三、真反対の二つの意味を表裏にふくませる。すると一つの意味に束縛されずに自由な状態で聞けるようになる。
希望を捨ててしまえば、
おどろくほど元気になれるものなんですよ、
もちろん
空(から)元気ってやつですがね。
希望を捨てろ、と忠告しながら、捨ててもたいしたことにはならないよ、と警告もふくめている。彼独特の二重性である。だいたい彼の名前にしたって、「胃の飢え久し」と読めば「たんと食えよ」と聞こえるし、「胃の上庇」と書けば「もう食うな」と読みとれるではないか。この二重性を――
四、人間観の底まで深めれば、
みんな人間よ
同じ人間
怖がってはだめ
見下してもだめ
となるし、
五、世界観の果てまでひろげれば、
絶望するには、
いい人が多すぎる。
希望を持つには、
悪いやつが多すぎる。
となる。そのグローバルな視野において、彼はみごとなバランス感覚を保っているのである。ただ「絶望するな、希望を持て」と言われると、一般庶民のリアリズム感覚には受け入れにくい気がするが、このように言われると説得力をもってひびいてくる。
こうして井上ひさしのせりふの大波小波の中を泳いでいると、さらにもう一つの声が聞こえてくる。それは、われわれ観客(読者)に向かって言われるだけでなく、
六、彼自身に向かって言い聞かせているかのような声である。
人間のかなしいかったこと、
たのしいかったこと、
それを伝えよるんが
おまいの仕事じゃろうが。
これは「父と暮せば」で、原爆死した父親の亡霊が図書館勤めの娘に広島弁で語りかけているせりふだが、そのようなコンテクストを離れてこれだけ取り出して聞けば、井上ひさしの自戒のことば、とも聞こえてくる。つまり、彼のせりふに「力」があるのは、多数の他者に働きかける遠心力があると同時に、自分にも訴えかける求心力があるからではなかろうか。
本書をお読みになったかたがたは、次に彼の劇作品をお手にとり、ご自分の気に入ったせりふを一つ、二つ、と書き留めていかれるようおすすめしたい。そうして108個、120個、150個とふやしていくかたが、彼にとっていちばんうれしい読者だと思う。
(おだしま・ゆうし 演劇評論家)