書評
2013年12月号掲載
人間力より「変わる力」を
與那覇潤 対論集『史論の復権』
対象書籍名: 対論集『史論の復権』
対象著者:與那覇潤
対象書籍ISBN:978-4-10-610546-3
なんでも入試のやり方を変えて教育を「再生」するとかで、近日また大学論が喧しい。ペーパーテストで学力だけを測るのではなく、面接重視で「人間力」をみるべきだという昔ながらの話のようだが、しかし後者の内実が結局なんなのか、具体的に教えてくれる人はほとんどいない。
私自身が、どんな力を持った受験者に入学してほしいですかと問われたなら、迷うことなく、「驚く力」であり「変わる力」だと答える。学問というレンズを使って眺めてみると、目の前の景色がこれまでとまったく違って見えることに、まずは驚いてほしい。そうして新しい世界を知った自分を肯定して、それ以前の価値観や思い込みを相対化して、変わっていってほしい。たとえば「『信長の野望』以来、ずっと戦国時代が好きでして」よりは、「先生の授業に出て、この時代をもっと知りたくなりました」と言われた方が、教え甲斐があるという教員はきっと多いと思う。
「人物評価」に際して測るべきものがそういう力だとすると、面接でそれが「高い人」を見抜くのは難しいというか、不可能である。誰がこれから大きく「変わるか」を初対面で言い当てられる占い師のような大学教授がいるなら、こちらがお目にかかりたい。常人にできるのはむしろ「低い人」をはねることくらいで、彼らには「対話」がなりたたないという共通の特徴がある。
言うまでもなく、対話の愉しみはおしゃべりによって潰せた時間の量ではなくて、自分と相手とのあいだに生じた変化の質に比例する。何時間を費やしても相手になんの変化も起こせなかったと感じたらむなしいだけだし、逆にわずか二言三言のやりとりでも、人生の転機として覚えているという経験のある人は、少なくないはずだ。
面接という形で対話を試験化することで生じるのは、この「変わる力」の衰弱である。明らかに口にする本人が信じていなそうな「模範解答」を反復するロボットの群れから、もはや「人間」の範疇から外れて戻らなそうな存在をはじくのが、残念ながらいまも多くの面接官の仕事だろう。近年の大学では入学後も彼らを驚きに触れさせたくないのか、「シラバスどおりの授業」の実施が妙に推奨されるのだが、目の前の教員との対話よりもシラバスの文言の再現を期待して、始終うつむき沈黙したまま教室に出てくる無表情な学生の「人間力」は、どうなっているのだろうか。
これまで「近代化」や「西洋化」だと思っていたものが「中国化」に見えてくるという形で、「驚く力」を育てようとした大学での講義録を『中国化する日本』(文藝春秋)として刊行したところ、多くの方と対話する機会を得た。池田信夫氏との『「日本史」の終わり』(PHP研究所)、東島誠氏との『日本の起源』(太田出版)に続いて、今度は7名の方々との共著として3冊目の対論集を新潮新書にする。それを通じて著者が「変わる」過程をオープンに示すことが、いま真に求められる「人物本位」の教育だと信ずるがゆえである。
(よなは・じゅん 愛知県立大学准教授)