書評

2013年12月号掲載

山本周五郎と私

しみじみと「物語」が胸に沁み込む

和田竜

対象書籍名: 山本周五郎長篇小説全集第19巻『風雲海南記』
対象著者:山本周五郎
対象書籍ISBN:978-4-10-113457-4

 周五郎との出会いは、映画だった。
 大学三年生の頃だ。当時、芝居をやっていた僕は、ひとつ勉強のためにと、黒澤映画をこの頃になって初めて観ようとした。
 勉強、というのは、黒澤明監督は僕が物心付いた頃には、すでに偉人として崇められ、撮る映画もCMを見る限り、どこか小難しげな印象だったからだ。なので、このときまで黒澤映画は一本も観たことがなく、正直、半分嫌々だった。
 近所のレンタルビデオ屋に行き、ずらりと並んだ黒澤映画のパッケージを眺めた。
 カラー作品は格調が高すぎ、モノクロになると、二の足を踏んでしまう。モノクロ作品にとっての現在は、僕にとっては何十年も前のことゆえ、
「登場人物の気分がまるで分からん」
 ということが、これまでにも結構あったからだ。
(もう一回、ターミネーターでも観るか)
 と、一瞬頭をよぎったが、意を決してその中でも理解できそうなものを選んだ。それが、
『椿三十郎』
 だった。
 時代劇を選んだのは、この一、二年前から司馬遼太郎に凝り始めていたからで、侍が出て来るものなら、何とか付いて行けるだろうと思ったことによる。つまりはモノクロの現代物よりはマシという考えだった。
 もっとも、侍が出て来るとはいえ、司馬遼太郎得意の幕末でもなければ戦国モノでもない、江戸時代のお家騒動という僕にはまるで関心のない題材だ。家に帰って期待ゼロで観始めたのが良かったのか、
「なんて面白いんだ」
 衝撃を受けた。
 このときの僕の衝撃は、単に映画が面白かったことに起因するのではない。
 当時、一九九〇年代前半の頃、日本映画といえば、世界観が狭くて物語の起伏も少なく、いたずらに難解で映画の玄人を自負する人がいかにも好みそうな作品が続出していた。無論、その中にも面白いものはあるのだが、いかんせん物語としてはやはり小さく、広く日本の老若男女が楽しむといった作品ではなかった。
 このことを、のちに僕は映画『のぼうの城』のプロデューサーである久保田修氏に訊いた。
「何であの頃、あんな小っちゃい映画ばっかり撮ってたんですか」
 答えは単純であった。
「和田君、あの頃は金がなくて、ああいう映画しか作れなかったんだよ」
 そんな当時の日本映画の情勢は、僕たち学生、とりわけ芝居や映画に取り組む者たちに影響していた。芝居を作る以上、世界観が狭く、難解で、観客が分からなければ分からないほどエラいという意味不明の空気が僕たちを取り巻いていたのだ。しかも、始末の悪いことに素人の学生が作る芝居はちゃんと構成されていないので、初めから理解し難く、良い物も悪い物も一緒、みそもクソも一緒という状況であった。
 ところが、僕は世界観が狭く難解な物が大の苦手である。この頃から芝居の脚本を書き始めていた僕は、やけくそのように劇画のような分かりやすい芝居を書いていたのだが、世の中の流れからはまるで外れていることをひしひしと感じていた。
「スペクタクルはゼロにして、話の起伏をなるべくなくして、客を煙に巻かないと駄目なのか」
 と、うんざりしていたところに、出会った『椿三十郎』だった。
 娯楽以外の何物でもなかった。三船はひたすらカッコ良く、登場人物たちは明確に描き分けされており、入江たか子などは最高に面白かった。物語の随所に伏線が張り巡らされ、起伏に富み、難解さに至ってはいっさいなしである。
「だからだったんだ」
 このとき、黒澤明があれだけ尊敬される理由が分かった気がした。『椿三十郎』をロードショーの映画館で観た当時の人はきっと熱狂したことだろう。
「だからこそ、黒澤はあれほど愛され、尊敬もされ、僕が物心付いた頃には偉人になっていたんだ」
 勇気付けられた。僕の思っていることは間違いではないと言われた気がした。衝撃を受けたのは、このせいである。
 僕は心底面白かった映画はすぐに二度観る癖がある。
 東宝のマークから始まり、この頃はエンドロールがないのでド頭からスタッフロールが出て来るが、その中で目に付いたのが原作の、
「山本周五郎」
 の名である。
 周五郎のことについて書けと言われて、予定枚数の半分ほど行ってやっとこの名が出てきた。後に僕の敬愛する三人の作家の一人になる人だが、当時の僕は、
「山本周五郎か。聞いたことあんな」
 漠然としかその名を知らなかった。黒澤と同じく、どこか大御所の香りのする尻込みしそうな作家であった。
 原作は『日日平安』とある。早速、新潮文庫の短編集『日日平安』を買った。表題作の「日日平安」は短編集の中ほどに収録されている。他の短編を素っ飛ばして読んでみた。
 が、期待外れであった。何しろ主人公が三船演じた豪放磊落な三十郎ではないのだ。しかし、原作と映画が違うことは往々にしてあることだ。気を取り直して他の短編も読んでみると、これが実に面白かった。中でも良かったのが「嘘(うそ)アつかねえ」だ。酒飲みの男の目を覆わんばかりのみじめさを書いたものだが、キュッと胃の腑を掴まれる思いがした。
 他の短編も同様であった。この短編集にある小粒な話は、本来僕の好むところではないのだが、司馬遼太郎の小説を読むのとはまるで違うこの感じ。短編を読む度に、一度本を閉じてしみじみと物語が胸に沁み込んでくるのを待つ。そんなことをせずにはいられなかった。
 一方で、物語を素直に描こうとしていることに驚かされた。必要なだけの状況描写と台詞のやり取り、感情表現だけで話を進めていく。そこには、いたずらに感情表現を膨らまし、状況描写を水増しして、物語が進まないといった、僕にとっては読者を煙に巻こうとする意図はまるで感じられなかった。
 将棋指しがピシリピシリと会心の一手を打って、よどみなく勝ちを得る印象。文章によって表現される見た目の状況はささいなことだが、物語における変化は劇的である。その起伏はアクション映画と言ってよかった。
「これでいいんだ」
 周五郎の短編集を読み終わったときの衝撃は、黒澤とまったく同じである。勇気を与えられた。僕にとっての大御所が、読者にきちんと目を据えて、物語の狙い、というか面白いと思ってもらえるだろう所をはっきりさせた上で書いている。そんな当たり前のことを当たり前にやっていた。
 以来、僕は周五郎に心を奪われた。
 一冊読み終えるごとに本屋さんに行き、文庫の棚から周五郎の文庫本を抜いては買うを繰り返した。
 好きな作品を挙げればキリがないが、『青べか物語』は、名作という言葉の持つ雰囲気にもっとも合った作品だと思う。周五郎の不遇時代を書いたものだが、学生だった僕は、
「不遇とはいえ、原稿を掲載してくれる雑誌があるだけいいなあ」
 と妙な羨望を抱いたものだ。
 もっとも好きなのは、『おたふく』。限りなく可愛らしい、おしずの振る舞いが描かれ、その後で、夫となった貞二郎の、
「この泥溝(どぶ)を、川だと云やがった」
の台詞が出てくると、条件反射のように涙腺が緩んでしまう。大好きである。  長編では、『ながい坂』が好きだ。主人公の小三郎(三浦主水正)は苦境に陥るたび、何者でもなかったときの自分を思い起こし、それを乗り越えようとするが、この小説のテーマは、僕にとって強烈なインパクトがあった。
 何か事を為そうとすると、一足飛びに目的地へと向かいがちだが、降って湧いたような幸運はまずない。それを待つばかりでは、ながい坂の一歩さえ踏み出すことはできない。まずは、何の能力もない自分を自覚して、そこからどうすればいいのかを考えて、初めて一歩を踏み出せる。そんな風に僕はこの小説のテーマを解釈して、脚本コンクールに応募するという作業を地道にやってきた。何の才能もないのだから、とにかく愚直に思索に思索を重ねるだけだ。
 周五郎の小説は、全部読んだと思っていたが、違った。『風雲海南記』はなぜか読んでいなかった。
「こんだけ周五郎、周五郎って言うなら読んどけよ」
 という話で、そんなわけで初めて読んだのだが、
「こういう長編も書いていたんだ」
 というのが率直な感想である。周五郎の長編は、読ませながらも「人生」という言葉が、ずしりと背中に伸し掛かってくるものが多いが、この小説はそうではなかった。
 今風にいうならエンタメ小説である。主人公の乙貝英三郎は小説の冒頭、居酒屋の主人に見事な啖呵を切ってあざやかに登場する。アクション映画では、こんなシーンはありふれているが、やはりこういうくだりは不可欠である。たちまち主人公を好きになった。ここでも周五郎は物語を素直に描こうとしていた。

 (わだ・りょう 作家)

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