書評

2014年1月号掲載

運転席という名の舞台裏

――にわあつし『東海道新幹線 運転席へようこそ』(新潮文庫)

有栖川有栖

対象書籍名:『東海道新幹線 運転席へようこそ』(新潮文庫)
対象著者:にわあつし
対象書籍ISBN:978-4-10-125471-5

 物心がついた時からパソコンが身近にあった世代を〈デジタル・ネイティヴ〉などと称する。一九五九年生まれの私は、各家庭にテレビが普及した時代の生まれなので〈テレビ世代〉と呼ばれてきたが、こういう呼称は当人にとっては「それがどうした?」で、あまり意味がない。
 幼少期に世の中に広まり始めたものでネーミングされてこそ、「ああ、まさしく」と実感が湧く。私は、自分のことを〈新幹線世代〉だと思っている。東京オリンピック開幕に合わせて東海道新幹線が開業したのは五歳の時。「乗ってみたいなあ」と憧れ、それがごく日常的な当たり前の存在になっていくのを見続けてきた、という意味で。
 また、次世代の高速鉄道・リニアモーターカー(こちらも新幹線と呼ばれるそうだが)とは縁が薄そうな点でも、自分が生きたのが新幹線の時代であると感じる。東京・名古屋間をリニアが走るようになるのは二〇二七年の予定だからそれには乗れそうだが、私(大阪在住)の地元にやってくるのは、その十八年後。生きていたとしても、東京に行く用事はあるまい。
 というわけでリニアへの興味は減退し、新幹線世代=新幹線チャイルドとして人生をまっとうすることになった。幼い日に憧れ、青年期以降は何百回となくお世話になってきた新幹線に、私は愛着と感謝の念を抱いている。
 そんな私にとって、『東海道新幹線 運転席へようこそ』は、ご馳走のような一冊と言える。著者のにわあつしさんは、新幹線の運転士を長年にわたって務め、国鉄退職後はライター・写真家としてご活躍中で、新幹線ファンを大喜びさせた『新幹線の運転』(副題は「運転士が見た鉄道の舞台裏」)の著者でもある。
 専門的なものから初歩的な読み物まで、新幹線に関する本は山ほどあり、現役の運転士が書いた本も出ている。「まだ書くことがあるの?」と言いたくなるが――あるんですね。さすがに新幹線は奥が深い。
 本書は二部構成になっていて、第1部は「0系新幹線でゆく、東京―新大阪(昭和53年春の某日)」、第2部が「N700Aでゆく、新大阪―東京(平成25年春の某日)」。新旧二つの時代・二つの車種での運転を詳細に紹介してくれる。それはもうリアルな筆致で、点呼・乗車から運転士にぴたりと寄り添って、何もかもを見聞きするかのよう。ここまで書いてもいいのかしら、と思うほどだ。乗客から見えないところで、運転士が何を考えてどう列車を操っているのかが克明に描かれており、舞台裏を覗く楽しさにあふれている。
 運転の細かなテクニックや心構え、苦労だけでなく、同僚の運転士や車掌、あるいは車内販売員の女性らとの会話がいきいきと紹介されているのも大きな読みどころ。かつて運転席にコーヒーや特製弁当の出前をするサービスがあったとか、在来線を並走する貨物列車が新幹線に対抗してスピードを上げたりしていたとか、「へえ、そんなことが」というエピソードが満載。メカ好き向けの硬派な部分と、人間臭さやぬくもりがうまくブレンドされている。
 あまり知られていない人身事故やアクシデントについて書かれているのも新鮮だ。JRにすれば内緒にしておきたいことかもしれないが、秘密にしておくことで変な噂や都市伝説を生むよりいいだろう。読んで新幹線への信頼がゆらぐようなことではない。運転士も無気味に感じる〈幽霊トンネル〉の紹介などもあり、幽霊の正体の解説までついているのだからサービス満点。
 文中、プシュー、ガラガラガラ、チ~ンといった擬音が頻出するのも面白かった。素朴な表現のようだが、臨場感だけでなく、運転士が音にも神経を集中させていることがよく判る。好奇心に応える打ち明け話集というだけではなく、鉄道マンの矜持が伝わってくる好著だ。
 旅に出られない時に家で寝そべって読むのもよし、新幹線に乗りながら読むのもよし。車中で景色と照合しながら読めば、「おっ。そろそろノッチを7に上げるな」などと運転席の情景を想像して、にやにやしてしまいそうだ。新幹線チャイルドだけでなく、日本が誇るこの超特急に興味のあるすべての方にお薦めしたい。

 (ありすがわ・ありす 作家)

最新の書評

ページの先頭へ