書評

2014年1月号掲載

葬儀から見た近代天皇制の「残滓」

井上亮『天皇と葬儀 日本人の死生観』

原武史

対象書籍名:『天皇と葬儀 日本人の死生観』
対象著者:井上亮
対象書籍ISBN:978-4-10-603737-5

 二〇一三年十一月十四日、宮内庁は現天皇と現皇后の葬儀や陵について、従来の土葬を火葬に変え、両者の陵を一体化することを明らかにした。その背景には、陵の簡素化を望む現天皇や現皇后の思いがあるとされた。
 葬儀や陵という、「死」にかかわるがゆえになかなか言及できない話題を、皇室自身が持ち出したことは、大きな波紋を呼び起こした。日本では火葬が一般的となって久しいにもかかわらず、皇室では昭和天皇、香淳皇后まで土葬が続いてきたこと自体、初めて知った人も多かったのではないか。天皇制にまつわるさまざまな「謎」の一端が解き明かされたわけである。
 では、皇室は一体いつから土葬を取り入れたのか。そもそも歴代の天皇は、死去すればすぐに葬儀が行なわれたのか。遺体はどのように扱われてきたのか――こうした疑問が、次々に浮かんでくるだろう。けれども不思議なことに、古代から現代までの天皇の葬儀を通史的に俯瞰する研究は、これまでなされてこなかった。
 本書は、宮内庁で長らく皇室の取材を続けてきたジャーナリストによる、初めての本格的な天皇の葬儀の通史である。これを読むと、「古制に倣ったもの」とされた天皇の葬儀の多くが、実は仏教色を排除した明治以降に創設されたものであり、それ以前は仏教の影響が強かったことがわかる。歴代天皇で初めて火葬された持統から昭和までの八十八人の天皇のうち、火葬と判明しているのが半数近い四十四人にのぼるのも、仏教の影響を抜きにしては考えられない。土葬は江戸時代の後光明天皇以降に慣例化するものの、天皇の菩提寺に当たる京都の泉涌寺では、建前上火葬がなお継続した。これが大きく変わるのは、復古神道が台頭する幕末になってからであった。
 さらに明治になると、上円下方墳と呼ばれる巨大な天皇陵が造営される。この形式は、大正、昭和天皇の陵にも受け継がれる。著者は明治とそれ以前との「深い断絶」を強調するが、確かにこの断絶に比べれば、敗戦に伴う変化は、憲法が改正されたにもかかわらず、相対的に小さかった。皇居は移らず、宮中祭祀はほぼ保たれた。葬儀や陵も大正天皇という前例が踏襲された。それは象徴天皇制にはそぐわない、天皇の権威を演出するための装置としての役割を果たした。
 土葬から火葬への変更を求める現天皇や現皇后の意向は、決して唐突に出てきたわけではなく、天皇が権力の主体として登場する前の時代に戻ることで、日本国憲法に見合う葬儀が可能になるという判断を伴っていたことが、本書からは見えてくる。著者は「本職の歴史家ではないので、深い知識はない」と謙遜するが、葬儀という観点を通して、明治から昭和初期までの近代天皇制が、長い天皇制の歴史のなかでいかに異様であったか、そしてその「残滓」がいまなおどれほど払拭されていないかを明らかにした功績は、まことに大きいと言わねばなるまい。

 (はら・たけし 明治学院大学教授)

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