書評

2014年2月号掲載

タイムマシン昭和号

――坪内祐三『昭和の子供だ君たちも』

小沢信男

対象書籍名:『昭和の子供だ君たちも』
対象著者:坪内祐三
対象書籍ISBN:978-4-10-428104-6

 題名に惹かれて本書をひらき、読みだしてたじたじとなる。ものごころついてより昭和の子供だ僕たちは、という気分で生きてきたが。いまや八十代から二十代まで、成人の殆どがぜーんぶ昭和の子供なんですなぁ。
 いまさらのことに次々に気づく。私は昭和二年生まれで右の大群のトップの世代です。弱年のころが実感的にはむしろ近くて、近ごろのほうが曖昧模糊と、遠くにさえ感じる。現にこうして暮らしているくせに、へんな気分だ。
 昭和歴代の見通しを、多少ともご案内いただくべく読みすすむ。著者の坪内祐三氏は、昭和三十三年生まれの五十代で、右の大群のちょうど真ん中あたりの立ち位置だ。
 その位置からの眺めでは、昭和のトップ組は一括して軍国少年世代だが、近寄れば一年ごとに違うらしいぞと文献的に実証してゆく。そうです。その通り。しかし、将校養成の陸士・海兵はエリート・コースで、海兵団や予科練は志願の大衆コースだという自明な違いさえ、次世代からはもう一まとめに見えるのか。
 私は新宿高校の前身の都立六中の三年生のときに、病気で二度落第して、昭和二年生まれから五年早生まれまでと同級になったが、軍国少年度は年ごとに濃くなりました。二年組は軍人志望でも、経理や軍医や安全コースを狙うさと平気で口にする余裕があったが。四年組になると、一刻も早く国に殉じたいと予科練を志願する優等生があらわれた。教師があわててひき留め、たぶん海兵予科へふりむけた。この昭和四年組から、小学校改め国民学校の卒業生です。
 制服も、昭和三年生まれ組からはカーキー服で戦闘帽になった。私は落第生の証拠の黒い制服学帽で押し通したけれど。まったく一年ごとに違った。
 日本の軍国主義は明治このかたという説も理はありましょう。坂の上の雲。しかし滅私奉公の超軍国主義は昭和特産だ。それも理不尽に盛りあがって、奈落の敗戦へ。
 戦後は、焼跡闇市時代、メーデー事件、六十年安保闘争と、折々に盛りあがってきましたなぁ。共産党がそれまでの武装闘争路線を放棄した六全協がらみで申せば、火炎瓶闘争で投獄された小林勝は私と同年で、陸士帰りで、酒を浴びるように呑んで四十三歳で急逝した。メーデー事件でぶちこまれた田所泉は昭和七年生まれの美少年で、多年の裁判闘争を沈着に闘いぬいた。五年ひらけば違う道理か。本書を辿りつつ、友人たちのあれこれへ想いがゆく。
 後続の世代では、戦後生まれの団塊の連中がいちばん元気でウマが合うようだと、一まとめに眺めてきたが。当事者にしてみれば団塊度も年ごとに違うし、ご当人たちには痛切に自明な違いが、やはりあったのですなぁ。横浜国大から過激派が輩出したゆえんなども、目から鱗だ。
 そこで昭和の子の読者各位は、それぞれの世代別に惹かれるゆえんがおありでしょう。著者の探索はこれぞという文献を精読して、世代ごとの心の軌跡をさぐりあてる。網羅的調査ではない、いわばタイムマシン昭和号のスリリングだから、読者ご自身も割りこめば侃々諤々きりもない興趣とはなりそうだ。
 戦争が過ぎ、政治の時節が過ぎて、シラケの世代となり、新人類が登場するのだな。それにしても探索の文献がエリート層へ傾くのはやむをえないか。総じてこの層の方々は、つねに勝ちをめざしてはつまずくとおおげさに挫折する。そんな傾向がおありのようで、その点は「されど、君らが日々」とみえなくもありません。
 そこでやはり昭和初年代へもどる。じつは最も身に沁みた一例は、予科練にかかわる記述でした。若い血潮の予科練のと歌にも謳われ世をあげて美化された軍国少年の華たちが、終始被差別の身であった。そもそも軍隊が差別の権化にせよ、娑婆でさえ。よくぞそこらを探ってくださった。わが都立六中から予科練へ入ったのは私の知るかぎりただ一名。昭和三年生まれの札付きの不良少年でした。新宿の遊郭体験を、落第生のよしみで私は聞かせてもらったが。各校へおそらくあった応募要請へ、人身御供にさしだされ、当人もいっそさばさばと出向いたのでしょう。われらはヨタ練と呼んでいたのだから。
 戦後数年、小田急新宿駅の改札口で、ばったり彼と出会った。弟分妹分をひき連れて、恰好いい兄貴になっておりました。

 (おざわ・のぶお 作家)

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