書評・エッセイ

2014年2月号掲載

選手の隣で見つめてきたもの

――田村明子『銀盤の軌跡 フィギュアスケート日本ソチ五輪への道』

田村明子

対象書籍名:『銀盤の軌跡 フィギュアスケート日本ソチ五輪への道』
対象著者:田村明子
対象書籍ISBN:978-4-10-304033-0

「ああ、良かった。田村さん、またよろしくお願いします」
 日本スケート連盟の小林芳子強化部長は、そう言って笑顔で丁寧に頭を下げてくださった。2013年10月、デトロイトで開催されたスケートアメリカで女子が浅田真央、男子が町田樹と日本がダブル金メダルを取った記者会見のことである。
 学生の頃から米国に暮らしてきた私が、フリーランスのライターとしてフィギュアスケートの取材をするようになって、ちょうど20年になる。
 ここ10年間ばかり、日本の選手が強くなって大会に出ると必ずメダルを取って来るようになり、海外試合の会見では通訳代わりに引っ張り出されるようになった。仕事として通訳をしていたのはもう20年以上前のことだけれど、日本から来た記者たちの中には、私が国際スケート連盟の人間だと勘違いしている人たちもいるらしい。
「いえいえ、とんでもない。私はフリーの記者で、これはただのボランティアのお手伝いです」。そう答えると、目を剥いて驚く人もいる。
 記者会見で選手の横に座ると、もちろん自分の取材は二の次になる。他の選手に質問をしたくてもなかなかできないし、(時には、壇上から手を上げて聞くこともあるけれど)正確に訳すことに神経を集中しているので、頭の中身を記者モードに戻すのは一苦労だ。それでも頼まれて断ったことは一度もない。彼らの言葉をできるだけ正確に海外メディアに伝えてあげたい、という使命感も当然ある。でもそれ以上に、試合を終えて部屋に入ってきた選手の表情を横で見ているのが好きだからだ。
 選手が記者会見場に来るのは、テレビ取材を終えて最後の最後。メダルを取って嬉しいけれど、疲れきっている。でも集まっている記者たちの質問に答えるのが、その日の最後の仕事だ。
「よろしくお願いします」
 どの選手も私に笑顔でそう言ってくれるけれど、村上佳菜子や羽生結弦らがまだシニアに上がったばかりだった頃は、会見でも少し緊張しているのが伝わってきて初々しく、可愛らしかった。
 髙橋大輔くらいのベテランになると、質問に一通り答えてから「こんな感じで、大丈夫ですかね?」と私の顔を見る。記者にとって記事になるかどうか、というところまで気を使っているのは、神経が細やかな彼らしい。
 浅田真央は本人は意識していないのだろうが、答える前に「そうですね」と考えながら少し首を傾げる癖が何とも愛らしい。海外のメディアから少し突っ込んだ質問をされても動揺する様子はなく、時には笑顔で、時には真剣な表情で淡々と答える。記者会見など子供の頃から何百回も経験してきたであろう、堂々としたものだ。
 驚くほど謙虚な鈴木明子、読書好きな彼らしい言葉選びをする町田樹、いつも笑顔を絶やさなかった織田信成、言葉の細かいニュアンスにこだわりを見せるしっかり者の小塚崇彦など、どの選手も氷上とはまた違った面での個性を記者会見では見せてくれた。それを常に横で観察し、言葉を聞き取って英語に変換しながら心に刻ませてもらった私は、とても幸せだったと思う。
 バンクーバー五輪から4年がたち、再び五輪がやってくる。ベテランの浅田真央と鈴木明子、そして髙橋大輔の3人は、再びソチで五輪の舞台へと挑戦することになった。3選手とも、4年前と比べると驚くほど巧くなった。すでにトップレベルにいた選手でも、まだこれほどの伸びしろがあったというのはすごい。
 その一方で、羽生結弦、村上佳菜子らの若手たちがぐっと実力を伸ばしてきて、比較的遅咲きだった町田樹は見事な覚醒ぶりを見せてチームに加わった。
 トリノ、バンクーバー、そしてソチと、日本は世界最強とされるメンバーを五輪に送ってきたけれど、今回ほど個性溢れる顔ぶれはかつてなかったのではないか。各スケーターたちが歩んできた道のりを間近から観察させてもらった感謝の気持ちを、本書の中にはたくさん詰め込んだつもりだ。

 (たむら・あきこ ノンフィクションライター)

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