書評
2014年2月号掲載
あえて「玄人」にならなかった政治家
佐瀬昌盛『むしろ素人の方がよい―防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換―』
対象書籍名:『むしろ素人の方がよい―防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換―』
対象著者:佐瀬昌盛
対象書籍ISBN:978-4-10-603740-5
坂田道太は不思議な存在感のある政治家だった。大学で全共闘運動が激しく展開されていた頃、私は学生だったが、そのときの坂田文部大臣は、権力をギラつかせた政治家というよりも、穏やかな学究の徒のような印象が強かった。むろん政治家である以上、権力を超越していたわけではあるまい。むしろ、かなりしたたかな政治家であった。本書は、防衛庁長官としての坂田に焦点を絞り、そのしたたかさを鋭く抉りとっている。
したたかだったと言っても、坂田が術策を弄したというわけではない。また、表の顔は穏やかだが、裏では腹黒い取引にかまけていた、といった意味でもない。坂田のしたたかさは、政治家としての責任をしっかりと果たすことに発揮された。防衛問題には「素人」であることを標榜しながら、きちんと勉強して長官としての務めを果たしつつ、しかしその勉強ぶりをひけらかさなかった。防衛問題に精通するようになっても、あえて「玄人」たろうとはせず、あくまで「素人」としての発想から防衛政策の見直しを図った。「素人」としての謙虚さと大胆さを持ち続けたのである。
したたかな防衛庁長官であった坂田の実像を、本書は、基盤的防衛力構想に基づく「防衛計画の大綱」の策定過程を中心に丹念かつ綿密に描いている。この時期の防衛政策を研究するには、まだまだ一次史料が不足しているが、本書は熊本の坂田家に残された私文書をふんだんに駆使して、それを補っている。むしろ、官僚機構内の文書に寄りかからない分、本書は、長官坂田が何を考え、どのように政策を進めていったかをストレートに描くことができたように思われる。
坂田は、政治的惰性や官僚的作文ではなく、「防衛哲学」に裏付けられた防衛計画をつくろうとしたのだ、と著者は強調する。坂田はそのために権力を使った。政治家は権力を目指すものであり、権力を握ろうとするからこそ政治家になるのだが、何のための権力かを忘れてしまう政治家も少なくない。その点で、坂田は何のための権力かをつねに意識し、深く考えていた政治家だったと言えるだろう。
坂田の人間味あふれる側面も興味深い。例えば、自衛隊員の生活環境への配慮がそうである。ただし、その配慮は単なる「温情」ではなかった。自衛隊員を日本社会の「異物」としないことが、シヴィリアン・コントロールの重要な条件だと坂田は喝破したのである。坂田は最も頻繁に隊員に語りかけ、国民に訴えた防衛庁長官だったという。こうした坂田の姿勢を、本書は「教育者的」長官と形容している。むべなるかな、である。
坂田は温厚そうに見えながら、きっぱりと筋を通し、根本的な政治信念の面では少しもブレなかった。著者は最後に、坂田の出処進退が「美しかった」と述べている。坂田にとって、おそらくこれ以上嬉しい褒め言葉はないに違いない。
(とべ・りょういち 国際日本文化研究センター教授)