書評・エッセイ

2014年3月号掲載

音楽の介護が導いた夫婦の「新生」

――みつとみ俊郎『奇跡のはじまり ある音楽家の革命的介護メソッド』

石川好

対象書籍名:『奇跡のはじまり ある音楽家の革命的介護メソッド』
対象著者:みつとみ俊郎
対象書籍ISBN:978-4-10-335251-8

 人間だれしも、人生の三分の一は、だれかの面倒をみながら生きている。平均的な人生であれば、家庭を持ち、子供が高校生になるまでは、子育てという面倒み。そしてときには同時に親または親族の面倒みや、介護。
 しかしそのようにしている、わたしたち自身が、やがては「される」側になる宿命を持っている。
 人生とは、だれかの面倒をみ、介護をする。そして自分もまた、だれかによって介護されるという循環にすぎないのだ。と、頭では理解してはいても、いざ自分にその順番が巡ってきたとき、どうするのか。
 本書は、還暦を迎えた著者が突然「介護する側」に立ったとき、何を行ったかのドキュメントである。
 伊豆半島のある町に、プロのフルート演奏者として音楽活動をしている著者と、文学や絵画に造詣が深く、本人もカルチャースクール等で、絵画指導を続けている妻。
 その妻が脳卒中で倒れ、医師から「百パーセント元には戻りません」という診断が下る。
 こうした介護ドキュメントは、これまでにも多く書かれている。しかし本書の場合、介護する夫はアメリカの大学に留学体験を持ち、しかも、その大学が音楽と医療の関係について、先駆的な研究や、教授を揃えていた。作者は、そうしたクラスや教授たちとの私的な交流を持つプロの音楽家である。この経験が、本書をして、他の類書と異なって、単なる介護ドキュメントの域を越え、音楽論や脳科学論からみた介護のありようにまで言及することを可能にした。
 バリアフリーという考え方が、著書が留学していた七十年代の後半には、米国社会の隅々にまで、機能する仕組みができ、そして学問の場でも著者が専門とする音楽の領域において、音楽が身体障害者や介護を必要とする人間に、どのような影響を与え得るのか、といったことが脳科学者たちとのコラボレーションで研究されていた。
 付言すれば、著者が米国に留学していたころ、障害者に対する呼び名は「HANDICAPPED」であったが、その後DISABLED(上手にできない人)、そして今日ではGIFTED(神より贈られし人)という風に変化している。
 要介護人であれ、知的・身体的障害者であれ、彼らが神から贈られし人であるなら、介護に回る人間は、その神から贈られし人と付き合うという意味となる。
 著者は半身不随となった妻との二人三脚でこの難問解決に向けて動き出す。専門書を読み、留学時代に知遇を得ていた高名な音楽家や、この分野の専門家にもメールを送り、参考意見を求める著者は、様々な人の意見を取り入れながら介護に付き合うのだが、ある友人が言った「この病気は元に戻そうと考えてはいけません。まったく新しい神経回路を作り、直さなくてはいけません」という言葉に光明を見る。
 半身不随の体を元に戻すことはできない。できることは半身不随の部分に新しい神経回路を作り出すことだ。これは介護する側は創造主の役割を果たせ、という意味になる。身体の動作にはすべてリズムがある。すなわち音楽的なのである。このことを著者は再確認し妻の身体に音楽的要素を注入することを決意するのだ。
 そもそも著者はプロの音楽家としてコンサートをする一方、音楽の社会的効用を信じ、それまでに介護を必要とする場所に出向いて社会活動をもしている自分を再確認する。
 著者にとってみれば、半身不随となり、要介護人となった妻は(失礼ながら)格好の現場ということになる。夫婦は、ときに慰め合い、激しく口論しながらも、着実に、妻は回復に向けて歩み始める。
 著者は、病床に伏す妻とその病状から多くのものを学んで行く。このドキュメントは、妻が少しずつ新しく生まれ変わる道筋を描きながら、介護する著者もまた被介護者の妻から教えられることの多いことを描いている。妻の新生の物語であると同時に夫の新生の物語でもあるのだ。
 六人に一人が脳卒中を患う可能性があるという日本。明日は我が身だと思いなし、本書の熟読を薦める。本書を読めば、たとえそのような要介護人間が自分及び親族に出現しても、これに立ち向かう何ごとかを教えてくれるのである。
 読み終えた読者は著者が冒頭で紹介している、ドイツのロマン派の作家、ノヴァーリスの「あらゆる病気は音楽的な問題であり、あらゆる治療は音楽による解決である」という言葉に納得するであろう。

 (いしかわ・よしみ 作家・評論家)

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