書評
2014年4月号掲載
ジェフリー・アーチャーと「クリフトン年代記」
――ジェフリー・アーチャー『裁きの鐘は クリフトン年代記 第3部(上・下)』(新潮文庫)
対象書籍名:『裁きの鐘は クリフトン年代記 第3部(上・下)』(新潮文庫)
対象著者:ジェフリー・アーチャー著/戸田裕之訳
対象書籍ISBN:978-4-10-216137-1/978-4-10-216138-8
「クリフトン年代記」の第三部、『裁きの鐘は』が刊行されました。第一部『時のみぞ知る』では、父親を早くなくして港をうろついていたハリー少年が思いがけない才能を見出されて上の学校へ進み、オックスフォード大学への入学を認められたとたんに第二次世界大戦が勃発、ハリーは大学を諦めて海軍へ入隊しようと、訓練のため貨物船に乗り込むが、Uボートに沈められてしまいます。第二部『死もまた我等なり』では、九死に一生を得てアメリカへ上陸したハリーが殺人犯として逮捕されて六年の実刑を言い渡され、イギリスではハリーが水死したと知らされたエマが事実を確認しようとアメリカへ渡って奮闘します。そして、この第三部『裁きの鐘は』では、ジャイルズの女性問題、ハリーとエマの充実、二人の息子のセバスティアンの冒険と活躍、わけあって養女にしたジェシカの生活が描かれています。
ここまでいずれも波乱に富んだこの年代記は、当初三巻で完結するはずのものが五巻に伸び、さらに七巻に伸びたという経緯があって、それについて著者のアーチャーは、“もともとはハリー・クリフトンとエマ・バリントンの人生を描くつもりであり、マーガレット・サッチャーが登場するあたりでの完結を考えていたのだが、五作目でハリーを死なせるわけにはいかなくなり、さらに三十年生きてもらわなくてはならなくなった”と二〇一三年七月十二日の「ブックセラー」のインタヴューで言っています。どうして死なせるわけにいかなくなったのか、さらに三十年生きてもらわなくてはならなくなったのかはアーチャーにしかわかりませんが、彼のことですから、腕によりを幾重にもかけて読者を驚かせてくれるのは、長年の読者として、また彼の作品を翻訳している者として、疑いの余地はありません。
また、“新作の刊行前は、果たして読者がついてくれるかどうか、いつだって神経質にならずにはいられない。このクリフトン年代記にしても、(幸いにして三作目までは好調だが)第四作が不調なら、それ以降の作品の心配をしなくてはならない”とも語っています。四十代後半に“いままで書くテーマに困ったことは一度もない……長編を五本、戯曲を三本、短篇を四十本、いますぐにも書くことができる……五分もらえれば、また新しいストーリイをあなたに話してあげられる”と豪語した人物と同一の人の言葉とは思えませんが、さすがのアーチャーも、七部作となるとプレッシャーを感じているのかもしれません。
「クリフトン年代記」が完結したあとの予定は決まっていないようですが、一冊、とても大きな物語を暖めているそうです。
アーチャーの作品は読者に予想のつかない展開をするのが常ですが、それはこの年代記でも変わることがなく、翻訳者としてはそこが楽しみでもあり、辛いところでもあります。物語がある方向へ流れているとき、一見脈絡のなさそうなエピソードが挿入され、何だろうと訝りながら読んでいくと、あるところで、そういうことだったのかと膝を打つことがよくあります。アーチャー自身が、書き進めるうちに主人公がどういう動きをし、物語がどういう方向へ向かうか予測できなくなると言っているのだから仕方がないのかもしれませんが、翻訳者としてはそれまで何となく曖昧な気分で翻訳せざるを得ないというわけです。
また、実際に翻訳作業をしている段階で、一つの文章や言葉にもう一つの意味が言外に含まれていることに改めて気づかされる場合が往々にしてあり、やはり一筋縄ではいきません。それに、聖書やシェイクスピアや有名な詩人の引用などは日常茶飯事で驚きはしないのですが、先人の箴言や政治家の演説の一部がさりげなく援用されていて、油断していると(油断していなくても)見落とす恐れがあるのが困りものと言えば困りものでしょうか。
第四部の「Be Careful What You Wish For」も、この三月にイギリスで刊行されています。舞台を一九五七年から一九六四年にとった、過去の三作を凌ぐほどのサスペンスフルな波乱の物語です。期待を裏切ることはありません。
(とだ・ひろゆき 翻訳家)