書評

2014年4月号掲載

明晰と酩酊

――角地幸男『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』

三輪太郎

対象書籍名:『ケンブリッジ帰りの文士 吉田健一』
対象著者:角地幸男
対象書籍ISBN:978-4-10-335331-7

 曾祖父は明治の元勲、祖父は伯爵、父は外交官にして総理大臣、幼少期は父の赴任先にしたがって、青島(チンタオ)、天津、パリ、ロンドンと転々とし英仏語を空気のように吸って育ち、十八歳にしてケンブリッジのキングス・コレッジに入るも、半年で見切りをつけて帰国する。昭和六年、満洲事変の年、父の大反対を押し切っての帰国だった。
 何が彼をしてケンブリッジに見切りをつけさせたのか。師弟の相性が悪かったわけでもないし、放蕩したわけでもない。漱石のロンドンと重ねあわせてみたくなるが、彼は漱石以上に身についた英語を話したし、西欧理解の文化資本の蓄積もあった。また、留学時の年齢もちがえば(かたや三十代半ば、かたや十八歳)、日本の国際的地位もちがう(かたや日露戦争前、かたや国際連盟の常任理事国となった後)。
 本人は釈明する。〈日本に帰つてから文士になる積りでゐてそれには十代から二十代に掛けての期間を英国で英国の文学の勉強をして過すことがどの程度に役に立つものか疑問になつてゐた〉。しかし、昔から私はこの釈明に納得が行かなかった。種々の解説も読んだが、どれも腑に落ちなかった。
 著者は書く。吉田健一が異国にあって美しいケンブリッジの空気に安穏とひたっていることに居たたまれない、「何か別な衝動」があったのではないか、と。
 彼にとって英語は「第一の母国語」であり、いわば故国であった。ところが、皮肉にもケンブリッジという故国の総本山で、故国(=英語)を喪失した。したがって一刻も早く日本に帰って、新たな故国(=日本語)を発見しなければならなくなった。その焦燥が生半可なものでなかった証拠に、戦後十年がかりで英国三部作(『英国の文学』『シェイクスピア』『英国の近代文学』)を書かなければならなかった。それは、〈すでに自分の血肉と化して現に自分を形作っているものを洗いざらい日本語で検証する作業〉であったし、〈ありったけの自分をさらけだす告白〉でもあった。
 著者はこうした大筋で、「何か別な衝動」を浮かびあがらせてくれる。ケンブリッジを半年で見切った説明として、私は初めて手応えのあるものを読んだという実感を得た。が、本書の真骨頂はここで終わらず、「それから」にある。
 吉田は英国三部作を著わした後、漱石と同じように「文学とは何であるか」はっきりさせるために『文学概論』を書き、随筆や小説に独自の日本語世界を切りひらいていく。そのゆくたてを著者は「言葉」という一筋道から解きほぐしてくれる。「言葉」は、「意識」であり、「身体」であり、「時間」であり、「場所」である。そして、「言葉」は「私」を易々と超える。「言葉」を軸にしてプロットしなおせば、世界は融通無碍なものとして出現する。晩年の長編『時間』は、小説とも随筆とも評論とも分類不能な、イギリス経験論の文芸的展開とでも呼びたい著作だが、私たちはまだその可能性を充分に汲み出していないのではないか、という猛省に誘われる。
 私は編集者をしていたときも、評論を書いていたときも、小説を疑わなかった。それはつねに、すでに、自明のものとしてあった。しかし、いざ小説を自力で書きだすと、途端に小説がわからなくなった。大学で教えだすと、さらにわからなくなった。そういう時期に本書に触れて、海上で浮輪を得た気がした。迷ったら「言葉」という初歩的で根本的な場へ立ち帰って、やり直せばいい、と教えられて。
〈どこだらうと我々の意識が赴く所に現在があつて我々にとつての世界はいつもこの現在の形をして我々の前にある。(中略)この形を取らなくては我々はどこにもゐることにならない〉。『時間』の一節の印象は、本書を読む前と後とでがらりと変わる。それは謎めいた一節でなく、明晰な一節だ。明晰でありつつ、深い酩酊をもたらす一節だ。
 著者の筆も同じである。あたかも吉田健一が乗り移ったかのごとく、その文章は『時間』の思考の回転や感受性と溶けあう。ひとりの作家を半生かけて読み抜くということの意味を、本書は教えてくれる。

 (みわ・たろう 作家)

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