書評・エッセイ

2014年4月号掲載

ややこしい京都

――江弘毅『有次と庖丁』

江弘毅

対象書籍名:『有次と庖丁』
対象著者:江弘毅
対象書籍ISBN:978-4-10-335411-6

 永禄三年(1560)年創業という、とてつもない歴史をもつ京都・錦市場の庖丁屋[有次]について、この『波』に連載した。1年半あまり取材し、『有次と庖丁』という1冊の本になったのは約2年後である。
 京都の店や京都の人については、有名な「一見お断り」の側面と、観光地ゆえの「京都を知らない人」に親切なところがあって、そこがまた京都という旧くて特別な都市の「ややこしい魅力」を形成している。
 京都をわかるということは、京都の歴史や文化についてあれこれ知識を得ることではなく、京都人とのコミュニケーションの仕方を身につけるということだ。京料理一つとってみても、有職料理、精進料理、茶懐石、仕出しやおばんざいの町方料理とそれぞれがルーツや成り立ち方が違い、それらの体系や様式によって店を座標軸にプロットしてもまったく意味をなさない。京料理を一律に「皿の上の料理」で格付けしたミシュラン・ガイドのつまらなさはそこにある。大小、新旧、値段の高い安いといった、一元的な物差しでは測りきれないところに京料理や京都の店の魅力があるのだ。
 共通しているのは、そのバラバラさにおいての個性であるから、そのところを聞き出して抽出するということであり、京都について「一を聞いて十を知る」ということは、結局のところ十のバラバラさについて知ることになるから、京都は「ややこしい」のである。
 案外長くかかったが、わたしは京都については、そのあたりの事情を「知っている」つもりなので、とりあえず「知らない」というところから入っていくことにしている。
 京都ブランドの最たるものと目される[有次]の和庖丁が、堺でつくられているということは「知らない」。御所に出入りする刀鍛冶でありながら、小刀しか打ってなかったのではないか、という十八代目当主の寺久保社長の話には目が点になった。この取材で初めて知ったことであるから当然であるが、そういうスタンスは忘れがちだ。「わたしは他所から来ているので、京都のことはよく知らないのです」と言うと、京都の人は必ずやさしく接してくれて、いろいろと教えてくれる。
 京都弁は音階が多様だ。日本語で一番音階が多い言葉だともいわれる。「おいしいお料理どすなぁ」の最後の「なぁ」のところをどう上げ下げするかによって、内と外を隔てるように相手との距離を測り、さらに自分の思いをやんわりとつたえる。
「~しはったらどうどすかぁ?」というのは、英語では「Why don’t you~?」あるいは「Why not?」、勧誘のそれである。このフレーズは普段、「どちらはんどしたか?」などと他人との関係を無難に避ける京都人にしては、かなり踏み込んだ干渉気味の表現である。
「そこのあなた、早く~しなさい」であり、最上級の音階ともなると大阪弁で言うところの「~せんかい(どアホ)」と同等に耳に届く。
 たとえば京都で漬物でも土産に買って帰ろうかと店に入る。キュウリのぬか漬、すぐき、千枚漬、しば漬、壬生菜、日野菜に芽生姜の酢漬けまである。どれにしようかと迷う。そこで前掛け、白長靴姿の店員が言う。「4つともしとかはったらどうどすかぁ?」「ほな4つともいっときますわ」……そういうことだ。
 隣の隣の街の大阪の人間であり、同じ京都でも地域や職種で違う京言葉がわかるわたしは、そういうところが「おもろく」もあるのだが、もっとも京都なコトやモノは、いつでも他には類を見ない話ばかりである。

 (こう・ひろき 編集集団140B編集責任者)

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