書評・エッセイ

2014年4月号掲載

アジアの神髄を学ぶ

――管洋志『一瞬のアジア』

田沼武能

対象書籍名:『一瞬のアジア』
対象著者:管洋志
対象書籍ISBN:978-4-10-305903-5

 アジアをこよなく愛した管洋志(すがひろし)君の『一瞬のアジア』が出版されることになった。喜びである。彼はアジアの人たちの生きるエネルギー、生きることに真剣で、また生きることを楽しむ――その姿を追い、四十数年間通い続けた写真家である。
 私が彼の仕事に注目したのは、1983年に発表した写真集『魔界・天界・不思議界・バリ』であった。
 バリ島は、殆どの国民がイスラム教徒のインドネシアにおいてヒンズー教が生きる唯一の島で、人びとの生活リズムはすべて宗教祭礼に従っており、旅人にはエキゾチックな島である。管君もその異文化に驚愕した一人であっただろう。しかし、彼はバリの人の視点でそれをつかみたいと願い、島人と本音の交流を始めて、ヒンズーを知り、信頼を得ながら撮影を行った。そして7ヵ月の間に千本近いフィルムを撮っている。バリにかけた彼の情熱を感じる。
 その写真集には、新生児をとりあげる男、結婚式などさまざまなヒンズー教徒の日常から彼の受けた驚き、感動が写し取られている。中でも圧巻は、王族の葬儀である。死者の手を握り別れを告げる人びとの手、高い櫓のような葬式塔の列、ヒンズーの神々の飾り、火葬地に着いたひつぎは聖牛型の神輿に乗せられ、男衆に担がれて、もまれた後に荼毘に付される。その間さまざまな儀式が続き、参列者はそれを真剣な眼差しで見守る。そして死者が焼かれてゆく光景が克明に描写されている。涙する人は誰もいない。ヒンズー教徒は「死は終わりではなく、旅立ち」といい、人びとは輪廻転生を信じて暮らしている。どの頁にも画面に緊張が漲っており、見るものの目を離さない。これほどバリの人びとの魂を捉えた写真集は見たことがなかった。世界の人間を撮り続けていた私は、強烈なパンチをくらった思いでこの写真集を読んだことを、いまも記憶している。
 バリでの体験で、管君はアジアへ向ける情熱が一層強くなり、93年にはメコン川周辺に住む人びとの撮影を始め、ベトナムやラオス、カンボジア、ミャンマーなどを訪ね、『ミャンマー黄金』『メコン4525㎞』の写真集にまとめている。
 管君は40年アジアを撮り続けてきたが、それをまとめたものがない、ぜひ写真集にまとめたい、とその構想を練り始めた。そんな矢先に病魔におかされてしまった。何事があっても諦めない彼は、何度か入退院を繰り返していたが、帰らぬ人になってしまった。タイトルの「一瞬のアジア」も闘病中に考えたものだという。
 その遺志をついで眞理子夫人と長男で写真家の洋介君が、膨大なファイルの中から、日頃管洋志君から聞いていた話を元に、約140点を選び構成した。
 だれよりも好奇心旺盛な管君は、企画を考え決断すると、すぐ実行に移る。その多くはアジアがテーマであった。彼は巷に響く喧騒に生きるエネルギーを、市場に漂う独特な臭いにアジアらしさを感じるといい、五感のすべてでアジアを楽しんでいた。どの国を訪ねても、その国の人びとと本音で親交し、信頼を得て人びとの真の姿を捉えてきた。そして、その国の風土、その民族の文化や暮らしを写しとっている。
 撮影がどんな困難に遭遇しても、あきらめない。対話と親交で、信頼を得て成功に導く。例えばミャンマーの尼僧院では撮影を拒否された。通いつめて誠意が認められ、撮影が始まった。そんな苦労があって、剃髪式を撮影することができた。仏門に帰依する女性の清清しい表情は、管君への信頼があったからこそ捉えることができ、傑作が生まれたのである。『一瞬のアジア』にはそんなエピソードがたくさん詰まっている。
 アジア大好き人間、管洋志君の撮った『一瞬のアジア』は、彼の受けた驚きや感動を、それぞれの国で捉えた写真が満載されており、まさに超一級の写真家に、アジアの神髄を学ぶことに等しい。この一冊の写真集により、アジアを知り、一人でも多くの人がアジアを好きになると、故人も喜ぶことと思う。

 (たぬま・たけよし 写真家・日本写真家協会会長)

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