書評

2014年5月号掲載

警察捜査+スパイ小説の醍醐味

――イアン・ランキン『監視対象 警部補マルコム・フォックス』(新潮文庫)

吉野仁

対象書籍名:『監視対象 警部補マルコム・フォックス』(新潮文庫)
対象著者:イアン・ランキン著/熊谷千寿訳
対象書籍ISBN:978-4-10-218531-5

 イアン・ランキンによる新シリーズの登場だ。まさか新潮文庫で読めるようになるとは思わなかった。
 海外ミステリーのファンならばご存知のとおり、ランキンは、英国のベストセラー作家で、リーバス警部シリーズの書き手として知られている。主人公リーバスは、エジンバラ警察犯罪捜査部の警部。このシリーズは1987年発表の『紐と十字架』から2007年刊の『最後の音楽』まで、とりあえず十七にのぼる長編と一冊の短編集が刊行されていた。第八作『黒と青』が英国推理作家協会(CWA)賞ゴールド・ダガー賞、第十三作『甦る男』がアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長編賞をそれぞれ受賞しているなど、本国のみならず世界的に評価が高く、多くの読者を獲得している。
 英国の警察小説ながら、ある種のアメリカのハードボイルド私立探偵小説と共通する味わいをもったシリーズだ。権力をものともせず、組織の中でしばられず、ときに四面楚歌となりながらも凶悪な犯罪に取り組む情熱的な姿勢、あえて危険をかえりみず敵に挑む行動力など、いわば一匹狼的なヒーローの魅力を発揮していた。そこに陰鬱なるスコットランドの風景が重なることで、独自のスタイルを持っていたのだ。
 日本の読者にもたいへん好評で、初めての邦訳『黒と青』やその前作『血の流れるままに』は、年末恒例の各誌ミステリー海外部門ランキングでベストテン内に挙がっていた。
 そして、第十七作『最後の音楽』は、六十歳をむかえたリーバス警部が警察を引退するまでの十日間を描いた作品。刊行当時、これがリーバス最後の事件とされていた。
 だが、もちろんランキンはその後も執筆を続けている。2009年9月に長編 “The Complaints” を発表した。これが『監視対象 警部補マルコム・フォックス』なのだ。
 では、新たな主人公はどんな男なのか。
 マルコム・フォックスは、内部監察室職業倫理班(PSU)で働いている。一般の犯罪を取り締まるのではなく、警官が起こした不正や汚職などを調べる仕事である。
 また、フォックスは離婚経験をもつ独身者。彼自身がいまもアルコールの問題を抱えているばかりか、介護施設にいる老いた父親の面倒を見なくてはならず、妹のジュードは同棲相手からDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)の被害を受けているなど、いくつもの重荷を背負った人物だ。
 今回フォックスは、まず児童ポルノがらみの調査をすることになった。児童保護部のアニー・イングリスから、刑事ジェイミー・ブレックの調査と監視を手伝ってほしいと依頼される。そんなおりにフォックスの妹ジュードの恋人であるヴィンス・フォークナーが死体で発見された。このフォークナー事件の担当者がブレックだったため、フォックスは複雑な立場におかれてしまう。しかし、一連の事件の裏側には、思わぬ真相が隠されていた。
 ケレン味の強いリーバス警部シリーズに比べると、序盤から淡々とした物語の展開になっているが、ラスト近くになると緊迫感が増し、圧巻のクライマックスへと突入する。さすが巨匠ランキンだ。
 事件の背後に、地域の大物や不動産開発業者が関わっているなど、この手の犯罪ものでは典型的な「悪者」が登場するものの、警察の内部監察室勤務の男が主人公ということで、より複雑な企みをはらんだミステリーに仕上がっている。すなわち、事件の捜査を中心とした警察小説の形式にとどまらず、仲間内ですら正体や目的を隠して隠密に行動するという趣向が導入されているのだ。警察捜査にスパイ小説の醍醐味が加わった二重の面白さがここにある。
 思えばリーバス(Rebus)という名前は、「判じ物、判じ絵」という意味だった。謎を解く刑事にふさわしいネーミングだ。こんどのフォックス(Fox)は「キツネ」である。英語の辞書を引くと、名詞で「ずる賢い人」、動詞で「欺く、だます」「(俗)尾行する」とあった。これまた仲間の警官を調査するスパイとしての役割がそのまま名前になっており、作品の特徴を表しているではないか。
 現時点でマルコム・フォックスの登場する作品はすでに四作書かれているようだ。しかも、その第三作と第四作では、なんとリーバスが登場しているという。まずは、本作を堪能していただきたい。そしてぜひとも、フォックスとリーバスの共演を日本に紹介してほしいものである。

 (よしの・じん 文芸評論家)

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