書評・エッセイ

2014年5月号掲載

技術の穂先

――江弘毅『有次と庖丁』

中沢新一

対象書籍名:『有次と庖丁』
対象著者:江弘毅
対象書籍ISBN:978-4-10-335411-6

 以前に奥出雲地方でタタラの技術によって玉鋼を作る作業を見る機会があって、心を揺さぶられる体験をした。古代の最先端技術であったタタラ製鉄の現場には、技術に隠された内奥の秘密のようなものが露出されていた。
 ふつうの人の扱えない高熱で純度の高い鉄を溶かし出すタタラ製鉄。高熱源を覗き込むタタラ師の目は潰れ、そこから一つ目小僧の伝説が生まれたという。技術というものの内奥には、とてつもない力が秘められているが、私たちはふだんそのことに気づかないで、技術の穂先にあらわれる製品を、安心して何気なく使っている。
 こういう体験ののち、私は技術の生み出すものを見るたびに、それを奥に隠されている秘密の領域まで含めた全体性で考える癖がついた。それだから庖丁を使っていて、うっかり指を切ったときなど、私がすぐに思い浮かべるのは、この調理道具を作った技でその昔は刀が作られ、刀は玉鋼から打ち出され、その玉鋼は生まれたときは真っ赤に溶けた流動体だったという、庖丁の前史である。庖丁を作る技術の内奥では、いまでも火が燃え盛っている。たとえそれが俎の上で、板前のクールな手さばきで、魚の内臓をさばいているときにも、その火は冷え切っていない。
 江弘毅さんの『有次と庖丁』は、世の中にある蘊蓄本とはまったく違っている。庖丁をその前史まで含めた全体性でとらえ、その庖丁がなければなりたちえない料理という行為そのものを野生状態に引き戻し、描き出そうとしているからである。鉄がまだ熱い流動体だった頃からはじまって、その鉄が庖丁の名品に姿を変え、最高級の料理を供する板場で活躍するにいたるまでを、職人の技にたいする愛情と尊敬のこもった、簡潔で力強い文章で描き切っている。庖丁のなかに封じ込められている火を、この本は感じさせる。
 出発点は、京都錦市場の刃物の名店「有次」である。料理の好きな関西人なら、誰でも知っている老舗。この店の棚に並べられたありとあらゆる形をした庖丁は、玉鋼技術史の全体性の最後のフェイズをしめしている。刀剣を作った技術は、喧嘩停止令と大坂の陣を最後として、庖丁をつくる技術へと転身をとげていった。
 そのとたんに、刃物は形態の百花繚乱の進化時代に突入していった。刀の機能は限られていて、そのために刀剣を鍛える技術は、一方向に異常なほどの発達をとげた。ところが、俎の上で鯛や鱸や鰻や蛸を、それぞれの料理に最適な状態にさばいていくために、機能に合わせて、庖丁は千差万別の形態に変態をとげていかなくてはならない。その結果、形態美と機能の見事な結合が実現された。有次に行けば、その百花繚乱な技術進化の穂先に咲いた見事な華に出会えるのだ。
 しかし、その店棚に並ぶ庖丁の一本一本には、じつは内奥の火が隠されている。その火はいまも堺の職人の仕事場に燃え盛っていて、そこで真っ赤に燃える鉄のなかから刃物への転身が続けられている。火のなかでの誕生から、料理名店の俎の上でのパフォーマンスにいたるまで、この本は庖丁の全体性を、すばらしい筆致で描き出している。この本を読む前と後では、料理に対する心構えが変わってくる。

 (なかざわ・しんいち 思想家)

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