インタビュー

2014年6月号掲載

『平凡』刊行記念特集 インタビュー

「もし」から想像する、もうひとつの人生

角田光代

角田光代

対象書籍名:『平凡』
対象著者:角田光代
対象書籍ISBN:978-4-10-105834-4

――「もしあのとき○○していたら」と誰もが一度は想像してしまう「自分のもうひとつの人生」。あの人と結婚していなければ。あのとき窓を開けなければ。彼女と別れていなかったら。そんな「もし」を描いた小説六篇を収録したのが新刊『平凡』ですが、このテーマはどこから出てきたのでしょう。

 若い時は人生の岐路をどちらに行くかというようなことで悩みましたが、年齢を重ねていくと前ばかり見るのでなく、「もしかして、あのときこういう選択肢があったのではないか」と振り向いたりする。二十代にはなかった視点なんですね。それで「あのとき」というのは、例えば結婚や試験などの人生の特別な出来事ではなく、ある朝バスを一台逃してしまったとかの何気ないことであり、それによって人生が変わってしまうかもしれないと考えたんです。でもあのバスに乗れたとしても、その瞬間は変わったように思えるかもしれないけれど、数年とか時間が経ってみると、人生の自分の立ち位置はそんなに変わっていない、それが今の実感です。

――表題作の「平凡」は、地味なパートの主婦の女性と、テレビに出ている料理研究家の女性を対比して描き、意外なドンデン返しがありますが、「平凡」に生きるとは何だろうと考えさせられました。

 あの小説は、別れた恋人に対してどんな呪いをかけるだろうか(笑)、と考えたのが始まりです。自分を捨てて若い女と結婚したけれど、子どもがじゃんじゃん産まれて、住宅ローンに苦しめられて、会社は左遷されて、奥さんは太っちゃって……そんな地味な暮らしをしやがれ、という呪いが現実味があるかと思ったのですが、それは普通の平凡で幸せな暮らしですよね。まったく呪っていないし、むしろ無事を祈るというか祝福になっている。二十代だったら、住宅ローンは地獄だと思うだろうし、そこに幸せがあるなんて気づかないけれど、「平凡は一種の祝福である」と、今だからわかって書けたんだと思います。

――最後に収録された「どこかべつのところで」では「後悔」をキーワードに書かれています。

「後悔」は「もし」とは違って、起きてしまったことなので、○○しなかった自分とか、あのとき事故に遭わなかった人というのを想定しないと、人生が辛すぎますよね。「もうひとつの人生なんてない」と思った方が楽かもしれないし、「どこかにもうひとつ人生がある」と思えた方が生きるのが楽な場合もありますよね。後者の立場を描いたのがこの小説です。

――その年度の最も完成度の高い短篇作品に与えられる川端康成文学賞を二〇〇六年に「ロック母」で受賞した時の授賞式で、角田さんは短篇小説が好きで良い短篇を書きたくて、千本ノックのように短篇を書いてきた、だから尚更受賞が嬉しいという伝説的なスピーチをされました。その後、短篇小説の書き方は変わりましたか。

 あの後、黒井千次さんに「あなたが千本ノックを十分にやってきたことはわかったから、もういいでしょう。これからはゆっくり落ち着いて書きなさい」と言われて、「確かにそうだな」と思いました。多い時で三十枚~五十枚の短篇をひと月に七作書いてたんです。さらに長篇連載をしてエッセイを書いて、月の締め切りが三十本以上あったんです。『おやすみ、こわい夢を見ないように』(二〇〇六年新潮社)とか『ドラママチ』(二〇〇六年文藝春秋)がその頃に書いた小説です。そこから徐々に数を減らしていったので、この『平凡』シリーズは一年に一作ずつで、本になるまでに七年かかっています。

――時を経たからこそ、この作品集が出来たのですね。

 最近読み直したんですが、三十代前半に「誕生日休暇」(『だれかのいとしいひと』所収)という小説で、自分で名づけた〈人生玉突き事故説〉を題材に書いたんです。恋人同士が待ち合わせたのに会えなくて、そこで取ったある行動が原因で、どんどんみんなの人生が変わってしまう。三台後ろから追突されたくらいで、思わぬ方向へ大きく変わるなんて、人生がそんなに軽いものだとは、なんて怖ろしい(笑)とその頃は思っていたんですね。それと比べていま『平凡』に収めた小説を読むと、自分の考えが変わっているのがよくわかりました。人生なんてそんなふうに変わってしまうもので、それは重さとか軽さではなくて、誰にでも起きることなんだ、それが普通だから、と今は思えるんですね。小説を書くことでわかってきたことでもあるんです。だから年齢ごとに自分の考えが違ってきているのが、小説を書くことで実感できますね。

――では読者もこの『平凡』を五年後、十年後に読み返してみると、また違った印象を持つかもしれませんね。

 ぜひそうしてもらえると嬉しいです。

 (かくた・みつよ 作家)

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