書評

2014年6月号掲載

国家と市民のプライヴァシー

――グレン・グリーンウォルド『暴露 スノーデンが私に託したファイル』

田口俊樹

対象書籍名:『暴露 スノーデンが私に託したファイル』
対象著者:グレン・グリーンウォルド著/田口俊樹、濱野大道、武藤陽生訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506691-8

 いやあ、大変だった。
 最初の原稿の一部があちらから機密保持のためにメールではなく、ハードコピーで届いたのが去年の十月半ば、どうにか翻訳の決定稿までたどり着けたのが今年の四月半ば。三人で翻訳作業に取りかかったことを考えると、通常のほぼ六倍の時間を要した仕事だった。予定どおりに次の原稿が届かなかったからである。その後、ぽつぽつとさみだれ式に、おまけに章の順番も前後して送られてきて、やりにくいことこの上なかった。さらに最後の最後まで著者校で直しがはいる。著者の記憶ちがいや事実誤認や推敲の結果による手直しなのだが、それが大量にある。世界同時発売ということで、締め切りが当初から言い渡されている。正直、最後には、いい加減にしてくれ、と言いたくなった。が、そうした苦労に対するお駄賃のような、ちょっと面白い発見がふたつほどあった。
 まずひとつ、これは再発見ということになるかもしれないが、日本の出版物はいかに丁寧につくられているか、ということだ。もともとあちらの本は明らかな誤りを放置したまま出版されることがままあるのだが、今回、著者の事実誤認については、著者が訂正してくるまえから訳者サイドと編集サイドで直していた個所が多々あった。そういう個所に出くわすたび、はいはい、先刻承知しておりますですよと、悪いとは思いつつ、しばし上から目線になったものだ。もうひとつは著者が推敲してきた個所が、それを知らされるまえからすでに訳文では訂正後の文になり変わっていることがよくあったことだ。たとえば、著者があとから補ってきたことばが訳文には最初から補われているというふうに。手前味噌に聞こえるかもしれないが、実はこれは自慢でもなんでもない。翻訳というのは、そもそも原文に含まれる情報を整理して、極力読者にわかりやすく伝えようとする作業だから、ある意味、当然のこととも言える。改めて翻訳の面白さに気づかせてもらった。
 さて、そんな本書。スノーデン氏の暴露内容については言うまでもないが、とにもかくにも読みものとして特段に面白い。著者グリーンウォルド氏が香港に飛んでスノーデン氏と初めて会う場面など、まるでスリリングなスパイ小説を読んでいるかのようだ。また、9・11以降、アメリカの大新聞がいかに政府寄りになってしまったかという事実にも驚かされた。もっとも、「政府が右ということを左と言うわけにはいかない」などという“個人的見解”を公の場で思わず口走ってしまうようなご仁が、国を代表する放送局のトップに収まっている日本よりはまだましかもしれないが。しかし、なにより訳者が啓蒙されたのは、プライヴァシーに関する著者の識見である。国家の“プライヴァシー”だけが手厚く保護され、一般市民のプライヴァシーが例外なく侵害される社会の恐ろしさ。グリーンウォルド氏は熱く訴える。プライヴァシーがなくなると人々は萎縮し、社会もまた萎縮する。まさに。
 民主国家では民意を体現した者が国を治めることになっている。わが国では昨秋、そんな為政者たちが「特定秘密保護法」なる法律を衆参両院で可決した。その法律の全文を読んでみた。かかる素養が当方にないせいもあろうが、わかりにくいことはなはだしい。作為さえ感じさせるわかりにくさである。失礼ながら、「てにをは」を直したくなるような個所さえあった。この法案にいったいどれほどの民意が盛り込まれているのだろう? 勢いを得た為政者は今、ただひたすら日本という国を“列強”にしたくてうずうずしている。日本という国を戦争のやりやすい国にがむしゃらに変えようとしている。そんな国になることで国民にどんな利益があるのかという肝心の議論を二の次三の次にして。
 国家は誰のためのものか。この古くて新しい問題も本書は読む者に考えさせる。こんな今こそ、ひとりでも多くの方々に読んでいただきたい一冊である。

 (たぐち・としき 翻訳家)

最新の書評

ページの先頭へ