書評

2014年6月号掲載

たったひとつの試合がブラジルを変えた

――沢田啓明『マラカナンの悲劇 世界サッカー史上最大の敗北』

大住良之

対象書籍名:『マラカナンの悲劇 世界サッカー史上最大の敗北』
対象著者:沢田啓明
対象書籍ISBN:978-4-10-335631-8

 Jリーグができるずっと前、日本サッカーリーグ(一九六五~九二年)の時代にも、たくさんのブラジル人選手が日本で活躍していた。彼らのプレーや言動を見ていて、なかなか理解しがたいことがあった。勝負への異常なまでの執着だ。
 サッカーの試合だけの話ではない。練習中のミニゲーム、カード遊び、そしてじゃんけんにいたるまで、彼らは勝つことにこだわった。勝つためにはどんなことでもするといった姿勢だったのだ。
 当時、ブラジルのサッカーは「美しい」と思われていた。一九七〇年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会でペレを中心としたチームが高い技術を駆使して完全優勝を飾ったのを見ていたからだ。日本にきたブラジル人選手たちはもちろん高い技術をもっていた。だがそれ以上に勝負への執念に驚かされた。
 その後ブラジルに取材に行くようになって、ブラジル人たちにとってのサッカーとは、「何が何でも勝つ」ことであるのを知った。それがブラジルという社会の特質なのかと思った。
 だが本書を読んで、六十四年も前、一九五〇年に行われたただひとつの試合が、ブラジル人たちのサッカー観、あるいは人生観さえ変えたことが理解できた。
「マラカナンの悲劇」は、日本人でも聞いたことがある世界のサッカーの「伝説」のひとつだ。地元開催のワールドカップ。二十万人という途方もない大観衆。その前で初優勝を目前にしていながら逆転で敗れ、スタンドでは四人ものファンがショック死した……。
 著者沢田啓明は、一九八六年にサンパウロに移住して日本にブラジルサッカーを伝える仕事をするようになってから、この出来事に興味をもち、二十年以上にわたって資料や情報を集めてきた。関係する場所や「生き証人」たちを求めてブラジル各地、この試合の対戦相手であるウルグアイだけでなく、遠くフランスやスコットランドにまで足を伸ばしたという。丹念な取材で積み上げた膨大な資料の間を何年間もさまよいながら、結果的に淡々とした口調で紡ぎ出したのが本書である。
 南米サッカーの歴史から説き起こす経路は、迂遠のようであって、最後の九十分間の怒濤のような流れまで読み進むと、その背景を理解するのに必要な要素であることを知る。そして著者は、「四人のショック死」は伝説でしかなく、スタンドからの落下での骨折などが九十六人、気分が悪くなって手当を受けた人が七十三人いただけだったという冷徹な事実を示す。
 ウルグアイとの最終戦で引き分ければ優勝だったブラジル。敗因は、チームというより、メディアや協会関係者・政治家を含めた周囲の奢りだった。著者は、執拗なまでにその事実を積み重ね、試合前から勝ったつもりでいることの愚かさを描く。この敗戦はブラジル国民の大きなトラウマになるとともに、強烈な教訓となり、おそらく、以後のブラジルサッカーの性格さえ変えた。それが、日本サッカーリーグ時代に私が驚いたブラジル人選手たちの異常なまでの勝負への執着となったのだろう。
 だが、本書がサッカーの物語として非常に大きな価値をもつのは、「マラカナンの悲劇」の背後に隠されたあるエピソードを掘り起こし、克明に再現したことではないだろうか。それは、敗戦にうちひしがれた夜のブラジル国民と、ある英雄との驚くべき交流のエピソードである。
 著者はウルグアイのモンテビデオに足繁く通い、センテナリオ・スタジアム(一九三〇年の第一回ワールドカップ会場)のなかにある「フットボール・ミュージアム」に通い詰めた。その取材のなかで、ウルグアイ代表キャプテンのオブドゥリオ・バレーラのパーソナリティーに惚れ込み、この驚くべきエピソードにたどり着く。
「こんな本、本当に出せるのかな、他の人に共感してもらえるのかなと思っていた時期があったのですが、バレーラとブラジル庶民の交流がブラジル国内ですらあまり知られておらず、この逸話を広く知ってもらいたいという思いが原動力になった気がしています」。そう沢田は語る。
 そのブラジルを舞台にした六十四年ぶりのワールドカップ開幕が目前に迫っている。日本代表を応援し、大会を楽しむ前に読むべき一冊があるとしたら、この本に違いない。

 (おおすみ・よしゆき サッカージャーナリスト)

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