書評

2014年7月号掲載

「先生の恩師」の飾らぬ素顔

――辻惟雄『奇想の発見 ある美術史家の回想』

鈴木芳雄

対象書籍名:『奇想の発見 ある美術史家の回想』
対象著者:辻惟雄
対象書籍ISBN:978-4-10-335811-4

〈芸術家の作品は、出来上がった段階では、片目の入ってない達磨だ。片目のままで長い間放置されているケースもある。それに片目を入れるのが美術史家の役割ではないか〉
 そう考えるに至るまでには様々な紆余曲折があったらしい。歌舞伎に例えれば、芸術家は役者で美術史家は着替えを手伝う黒子ではなかろうか、など。
 しかし、この本は美術史家・辻惟雄(のぶお)氏の幸福な人生の物語。
 医者の家系に生まれ、父親も開業医。東京大学を理科系で合格したものの、数学や物理や化学は苦手。試験はたまたま調べたところがまぐれ当たりをして、途中まで進むが結局医学部をあきらめた。画家への夢を捨てきれなかったこともあり、美術史に進む。だめだと思っていた大学院入試のときも、いちばん厳しい教授が風邪で欠席し、まんまと合格。〈運が良かった〉〈悪運が強い〉と何度も書く。その一方で、女性に関しては〈徹底的にツイてなかった〉とぼやいていたり。
 知らなかった面もいろいろと明らかになる。〈信じて貰えないだろうが〉と書いてあるが、辻氏はたいへんなスポーツマンで、野球ではピッチャーをつとめ、スキーや水泳が得意。ボディビルで体を作ったりもしたそうだ。大学院時代には臨時の沖仲仕になり横浜港で重労働をしたときの日記も。
 80歳を超えた美術史家の回想録。思わず引き込まれてしまった。美術好きなら誰もがきっとそうなるはず。
 現在はこれまでにないほどの日本美術ブームだといっていい。そのきっかけを14年前に京都国立博物館で開催された「若冲展」とすることにたいていの日本美術ファンも納得してくれるだろう。日本美術ってこんなにすごくて、こんなに面白かったんだと多くの人々が感動した。
 辻氏の若冲研究はその展覧会の35年ほど前に始まっていたことがわかった。つまり、彼が50年前に植林した苗木が大樹となって今、私達に恵みをもたらしてくれている。
 若冲のコレクターとして名高い、ジョウ・プライスさんは日本美術を海外から「発見」し、日本人に再認識させてくれた。ジョウさん、奥様のエツコさんと辻氏は50年近いつきあいである。作者、コレクター、美術史家、それぞれの役者が揃うまで時間はかかったが、良い作品は必ず多くの人の目に触れる宿命を持っていることを証明してくれた。
 私事を通して筆を進めさせていただくと、辻氏は先生の先生という存在なのである。本書にもしばしば登場する美術史家の山下裕二氏と筆者は師弟関係にある、とはいっても大学や大学院の学生というわけではない。美術特集の監修者、寄稿者と一編集者の関係を超えて、明治学院大学大学院山下ゼミのモグリ聴講生として2年間毎週「通学」していたからだ。
 そのとき山下氏から恩師辻氏の仕事やエピソード、さらに辻氏の恩師にあたる山根有三氏のことも聞かされていた。
 江戸絵画の研究、とりわけ人気の伊藤若冲や曾我蕭白を調べていくと、辻氏の著書『奇想の系譜』がまず読むべき1冊となる。ぺりかん社刊で読み始め、オリジナルの美術出版社刊を古書店で買い、連載時の初出『美術手帖』をネット古書店で揃え、もっとも生に近い文章を探ってみたりした。
 東京大学や東北大学、多摩美術大学で辻氏の学生になる機会には恵まれなかったけれど、レクチャーや公開対談には何度かうかがった。雑誌編集者という仕事柄、インタビューを申し込むこともできる。話の内容もさることながら、気さくで飾らない人柄に触れ、ファンになってしまった。
 雑誌『ブルータス』で「若冲特集」を作っていたとき、辻氏にインタビューさせていただいた。クルマの手配をして、迎えに行こうとしたら、地図をファクスしてくれれば結構、その日は近くでも仕事があるからとのこと。築地の朝日新聞社から東銀座のマガジンハウスに歩いてきてくれた。
 先生のお住まいの最寄り駅、北鎌倉でインタビューしたこともあった。指定の喫茶店での話が終わると先生は駅まで送ってくれた。駅はすぐそこですし、わかりますからと告げてもこちらがホームに上るまでずっと見守ってくれる。
 筆者の周辺には熱烈な辻ファンが多い。横尾忠則氏や村上隆氏も辻チルドレン。この本が語る辻氏の人生の豊かさ、痛快さを彼らとも話したりしてみたい。

 (すずき・よしお 美術ジャーナリスト・元『ブルータス』副編集長)

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