書評

2014年8月号掲載

「競馬小説」の時代よ、もう一度

――本城雅人『サイレントステップ』

北上次郎

対象書籍名:『サイレントステップ』
対象著者:本城雅人
対象書籍ISBN:978-4-10-121131-2

 競馬小説はずっと冬の時代である。佐野洋『直線大外強襲』、三好徹『円形の賭け』、海渡英祐『無印の本命』、阿部牧郎『天皇賞への走路』、石川喬司『走れホース紳士』という傑作が次々に刊行されていた一九七〇年代が嘘のように(塩崎利雄の傑作『極道記者』が東京スポーツに連載されたのも一九七六年だった)、いまその作品の数は圧倒的に少ない。競馬ブームが下火になったからだ、とは言わないでいただきたい。この七〇年代を例外として競馬小説はずっと少ないのだ。武豊がデビューしてオグリキャップが登場し、史上空前の売り上げを叩き出したバブル期ですら、残念なことに競馬小説は少なかった。『グランプリで会おう』の油来亀造、『サシウマ勝負』の石月正広、『ジョッキー』の松樹剛史など、バブルが弾けたあとにデビューした作家もいるが(2008年の日本SF大賞新人賞を受賞した杉山俊彦『競馬の終わり』という異色の大傑作もある。これはホントにすごかった)、散発的だったことは否定できない。だから今でも七〇年代を懐かしく思い出している。
 本城雅人に期待を寄せるのはそのためだ。本城雅人が新たなる競馬小説の時代を切り開けば、あの七〇年代がふたたび帰ってくるかもしれない。その先陣を切ってほしいと期待するのである。というのはこの著者、野球記者、競馬記者を経験してデビューしたとの履歴を持つからだ。つまり競馬の世界は裏も表も熟知しているはずで、ネタもたくさん持っているのではないか。ところがここまでは野球の世界を多く描いてはきたものの、競馬の世界はほとんど描いていない(一作あったけれど、まだまだだ)。それにもう一つ、その野球小説の話だが、『嗤うエース』や『オールマイティ』に共通する構成のうまさを想起するのだ。もっと具体的に言えば、たとえば『オールマイティ』の場合、プロローグで語られる二年前の二軍の試合が重要なポイントであることは読者に知らされても、そのときにいったい何が起きたのかはラストまで明らかにならない。引っ張るだけ引っ張っていく。なんでもない話をここまで読ませるのは、この構成に他ならない。
 多くの新人作家は素材に凝り、ケレンに走り、つまりは目新しい装いを獲得しようとする。それもまた新刊の洪水の中で自作をアピールするための努力の一つではあるのだが、本城雅人はそういうことに背を向けて、もっと些細なことにこだわっていく。あの二軍の試合で何が起きたのかと。この一点で突破していくから大胆だ。本城雅人の場合、どうということもない話が少なくない。それは手垢のついた素材といってもいい。それをこの一点で突破することで鮮やかな話にがらりと変えていくのである。
 本城雅人のこれまでのすべての作品が傑作だと言えないのは残念だが、こういう特異な才能の持ち主に、競馬小説を書いてもらいたいと思うのは当然だろう。というわけで本書だが、ダイヤモンドSから始まって、スプリングSで終わる(本当の終わりはダービーだが、実質的にはスプリングSまでだ)という渋い構成がまずいいし、父親はなぜ落馬したのか、その謎を探るために転厩する若きジョッキーを主人公にするという結構もいい。競馬界のさまざまな人間模様もよく描けているし(傲慢な馬主に、人のいい調教師など、目に浮かんできそうだ)、さらにレースシーンにも迫力がある。ネタばらしになるので詳しい紹介は避けるけれど、いかにも本城雅人らしい箇所もあったりする。それがいちばんの本書のキモであるのでここに書けないが、これが本城雅人だ。
 松本清張賞の最終候補になったデビュー作『ノーバディノウズ』について、ミステリーにすることの無理が作品を小さくしてしまったと新刊評で書いたことがあるが、同じことをこの作者は繰り返さない。父親はなぜ落馬したのかという一点を貫くことで、物語に緊迫感を与えている。厳しく言えば大傑作とは言えないが、水準以上の出来であることは間違いない。これは本城雅人の挨拶代わりの一冊だ。ここから競馬小説の時代が始まることを、私は夢想しているのである。

 (きたがみ・じろう 文芸評論家)

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