書評・エッセイ

2014年8月号掲載

静かな回想記を書かせたもの

――ウィレム・ユーケス『よい旅を』

黒川創

対象書籍名:『よい旅を』
対象著者:ウィレム・ユーケス著/長山さき訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506771-7

 一九一六年生まれ。「日本人に興味をもってもらえるだろうか」との自問から、九五歳になるオランダ人の著者によって、この短い回想記(メモワール)は書かれた。
 著者ウィレム・ユーケスは、二〇歳代前半の一九三七年から三九年まで、日本が中国に仕掛けた戦争の深みにはまっていく時期に、神戸で暮らし、貿易商事会社に勤めていたことがある。主な仕事は、日本の綿、建築資材、自転車、日用品などを大量に買いつけ、母国の植民地であるオランダ領東インド(現在のインドネシア)に輸出することだった。この間に英国女性の婚約者も得て、三九年末、自身の生まれ故郷でもあるジャワ島内の次の勤務地、スラバヤへと移っていく。
 四一年一二月七日(現地時間)、ハワイ真珠湾で、日本軍が米軍基地に奇襲攻撃をかけ、ABCD諸国(米国、英国、中国、オランダ)を敵にまわした太平洋戦争(大東亜戦争)が始まる。これは、著者の運命も大きく揺るがした。なぜなら、翌日八日には、オランダ領東インド軍でも総動員が発令されて、この軍隊の予備役少尉だった彼自身が召集されてしまったからである。
 とはいえ部隊は、情報不足に混乱しながら、現実には退却に次ぐ退却。四二年三月初めに日本軍がジャワ島に上陸すると、とうとうオランダ領東インド軍は降服する。数日後には著者の部隊の前に日本の将校が現われて、あなたを探しにきたのだと告げられ、彼はひどく驚く。日本語が話せるそうだから、スラバヤに戻って日本軍の通訳として働くように(身分上は日本軍の捕虜でもある)、という用件だった。
 ――こうして、著者は、日本軍占領下のジャワ島で、通いの軍通訳として働きはじめる。一方で、連合軍によるジャワ島奪還作戦に協力してほしいとの秘かな働きかけに応じて、日本軍の情報を外部に流そうとするようにもなった。こんなダブルスパイじみた働きは、やがて憲兵隊の知るところとなり、投獄される。軍律審判で懲役五年の判決。服役中、命があやうくなるほど痩せ衰えた。だが、戦争の行方は、連合軍の勝利で終わる。女性抑留所(日本軍がオランダ人の女性や子どもらを収容していた施設だが、日本の敗戦後は、少数となったオランダ人をインドネシア人による報復から守るために、英国軍の命令下で日本将兵によって維持されていた)で一時保護され、病院船で地球を三分の一周して、故国オランダに戻るまでを本書で述べている。
「刑務所時代の過酷な体験にもかかわらず日本人に対する恨みが残らなかったのは、二年半にわたる日本での生活の中で日本と日本人についてよく知ることができたためだ。さらに、わたしが囚人として不快な目に遭ったのは、連合軍のジャワ島奪還のための抵抗運動参加に端を発していたのだから、仕方のないことでもあった。」
 著者たちの植民地経験、そして植民地喪失の体験は、このように目まぐるしく複雑な経緯をたどる。さらには、戦後のオランダ社会(ナチスドイツによる占領からの立ち直りという切実な課題が、そこにあった)に復帰してからも、無理解と忘却にさらされる。失われた植民地、オランダ領東インド軍の退役軍人だった彼らに、オランダ政府は未払い給料の支払いさえ、長く拒んだままだった。
 植民地支配は、消滅したあとにも、しわ寄せを受けた者たちに長く禍根を残す。従軍慰安婦として働かされた若い女性たちには、ことのほか。
「(日本政府による率直な)謝罪がないかぎり、彼女たち、その家族や子孫は日本に恨みを抱きつづけるだろう。それは自分たちにはなんの責任もない過去のために外国人から反感を買ってしまう一般の日本国民に対しても不当であると思う。」
 このわだかまりが、九五歳になるハーグ在住の一人の戦争帰還者に、静かで重い回想記を書かせた。日本で本書が読めるようになるのは、たとえ目立たずとも、大事なことである。

 (くろかわ・そう 作家)

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