書評

2014年8月号掲載

忘れられない忘却サスペンス

――法条遥『忘却のレーテ』

大森望

対象書籍名:『忘却のレーテ』
対象著者:法条遥
対象書籍ISBN:978-4-10-180033-2

 法条遥は、第17回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞した個性的なドッペルゲンガー・サスペンス『バイロケーション』(角川ホラー文庫)で二〇一〇年にデビューした新鋭。この第一長編が、角川ホラー文庫二〇周年記念作品として、今年一月に水川あさみ主演で映画化されたこともあり、世間ではホラー作家だと思われていそうだが、実際に作品を読んでみると、新本格の流れを汲む奇想ミステリ作家の印象が強い。
 得意技は、強烈などんでん返し(一発ネタ)と、論理のアクロバット。典型的なのは、ダーク版『時をかける少女』とも言われる書き下ろしタイムトラベルSFサスペンス『リライト』に始まる四部作(三作目の『リアクト』まで刊行。いずれもハヤカワ文庫JA)。SFや超自然ホラーの設定を大胆に導入、現実が足もとから揺らいでしまうような大技を平気で仕掛けてくる。
“忘却不能のラボラトリー・サスペンス”と銘打つ書き下ろし最新長編『忘却のレーテ』も、その例に洩れない。今回のテーマは記憶。
 主人公の笹木唯は大学生。日本有数の巨大製薬会社オリンポスの役員を父に持ち、何不自由なく暮らしていたが、あるとき、両親が交通事故に遭って死亡する現場を目撃。そのトラウマからか、“死”という言葉を発することが(思い浮かべることも)できなくなる。さらに、父の同僚の役員から、お父さんは会社の金を横領していたと告げられ、衝撃を受ける唯。被害額は、全財産を処分しても返しきれない。だが、オリンポスが開発している新薬レーテの臨床実験に参加すれば、大幅に減額するという。こうして唯は、レーテの被験者に応募する。
 ……という(のちのち明かされる)設定のもと、小説は、いきなり「エピローグ」で幕を開ける。実験の責任者である研究者の小野寺エリスから、「面接の結果、残念ながら貴方は不合格となりました」と宣告される唯。
 問題の臨床実験の模様が、小説本体の大半を占める。「11月1日」の章から「11月7日」の章まで、七日間の出来事が順に描かれるわけだが、唯を含む六人の被験者はいずれも前日の記憶をなくした状態で目を覚ます(全員が着用しているリストバンドから深夜零時に強力な睡眠導入剤とともにレーテが注入される仕組み)。天才的研究者である小野寺エリス博士の独自の研究によって誕生した新薬レーテは、エピソード記憶の認知症を強制的に引き起こす効果があるのだという。六人はステュクスと呼ばれる施設に隔離され、実験期間中は外部との連絡を断たれている。毎朝、同じような会話をくりかえす被験者たち。だが、やがて事件が……。
 タイトルのレーテは、ギリシャ神話の冥界を流れる大河ステュクスの支流にあたる川、レテに由来する(古代ギリシャ語で「忘却」の意味)。レテと言えば、すぐ思い出すのは、二〇〇四年の第11回日本ホラー小説大賞で長編賞佳作を受賞した早瀬乱の記憶ホラー『レテの支流』(角川ホラー文庫)。大学の脳生理学研究室で開発された画期的な記憶消去システムの被験者となった男が、自分の過去の忘れたい記憶を選択的に消してしまったことから、フィリップ・K・ディック的な現実の揺らぎに直面する。SF色が強かったこの『レテの支流』に対して、前日一日分(正確には、覚醒中の十六時間分)の記憶しか消えない『忘却のレーテ』は、クローズド・サークル(閉鎖環境)ものの本格ミステリに近い味わい。
 クリストファー・ノーラン監督の『メメント』はじめ、前向性健忘(主人公が記憶を維持できない)を扱った映画や小説は珍しくないが、本書の場合は被験者全員が前日のことを忘れてしまうため、毎日が初日。読者側からすると一種の時間ループもの(同じ一日がくりかえされる)のようにも見える。記憶がリセットされつづける中で、いったいどんな変化が、どのようにして生じるのか?
 小説の着地点は「エピローグ」として冒頭に明示されている。この制約下で、読者にどんな罠を仕掛けるかが著者の腕の見せ所。“忘れること”の意味とは? 著者との知恵くらべに挑む気持ちで、注意深く読んでほしい。

 (おおもり・のぞみ 書評家)

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