書評・エッセイ

2014年8月号掲載

世界の終わりからはじまる青春小説

――水沢秋生『ライオット・パーティーへようこそ』

石井千湖

対象書籍名:『ライオット・パーティーへようこそ』
対象著者:水沢秋生
対象書籍ISBN:978-4-10-331772-2

 第七回新潮エンターテインメント大賞を受賞した水沢秋生のデビュー作『ゴールデンラッキービートルの伝説』には驚いた。三人の小学生が廃材置き場に自分たちだけの秘密基地をつくってかけがえのない友情を育むという設定は地味でありきたりなのに、実際に読んでみると鮮烈だったから。子供たちが捨てられた車の中で過ごしているときに〈7が三つ並んだスロットマシンからコインがあふれ出すような勢いで〉降り注ぐ太陽の光、みんなで一緒に何かをやり遂げるワクワク感がやがて切なさに変わる「黄金虫作戦」、ほとんど登場しないにもかかわらず物語の要になっている先生の言葉。記憶に刻み込まれた場面がいくつもあった。
 奇抜なアイデアや個性的なキャラクターに頼らずとも巧みな構成ときらめく描写によって忘れがたい時間を演出できる水沢さんが、第二作の『ライオット・パーティーへようこそ』で挑んだのは、世界の終わりからはじまる青春小説。第一部では、ゴールデンウィークの新宿で起こった大規模な暴動の経緯が描かれる。太鼓を叩いてシュプレヒコールをあげるデモ隊、赤い服を着た集団によるフラッシュモブ、突然笑い叫び暴れだす男女……。あっという間に〈反射的に互いの身体を乗り越えて角砂糖に群がる無数の蟻〉のような群衆にのみ込まれてしまう街の様子が、生々しく思い浮かぶ。なぜ騒乱は同時多発したのか。通り魔、食品への薬物混入、連続放火など、その前に暴動の「種」となる事件が頻発していたことが明らかになっていく。

「暴動前夜」の出来事が語られる第二部以降の主な視点人物は、戸野宮毬(とのみやまり)という女の子だ。真面目だが肥っていて要領が悪く、アルバイト先の店長にいつもいびられ、つらい思いをしている。大好きな祖父が亡くなってからは、家にも居場所がない。生きていたくない理由が積み重なり、ビルの屋上から飛び降りようとしていた毬は、天使のような青年・人百合(ヒトユリ)に声をかけられる。と、いっても自殺を止められるわけではない。〈そこから飛び降りるんでしょう? 僕が、見ててあげようか?〉〈ほら、流れ星って、死んじゃった星が流れるじゃない。あんなにきれいな終わり方なのに誰も見てないって思ったら、寂しくならない? 僕なら、誰かに見てて欲しいな。自分の世界が終わるときには〉と人百合は言うのだ。不思議な激励に水をさされ、とりあえず死ぬのをやめた毬は、人百合が案内してくれた古いビルで暮らすようになる。そこは行き場のない人々が隠れ住む避難所だった。誰とでもすぐ仲良くなることができて、困っている人に希望を与える一方で、不穏な空気も醸しだす人百合に、毬は惹かれていく。平凡でちょっと鈍くさい女の子と、風変わりで謎めいた美青年の恋。王道の少女漫画的なストーリーと、世界を呪う人たちが一線を踏み越える瞬間を切り取った断章「種」のコントラストが効いている。救世主であり破壊者でもある人百合の悲しみ、彼の世界の終わりを見届けようとする毬のまっすぐな愛にも引き込まれずにはいられない。

 そう、本書はいまどき珍しい純愛ものでもあるのだ。ど真ん中直球だけど、陳腐ではない純愛。毬が人百合をきれいだと感じるのはどうしてか考えるところが好きだ。もちろん容姿はきれいだが、それだけじゃない。〈上手くは言えないけれど、でも人百合くんを見ていると思い出す。それは例えば冬の夕方、ちょっと帰りが遅くなってしまったときに、家の前で心配そうな顔をして待っていてくれるおじいちゃんの姿、ずっと子供のとき、夜遅くに帰ってきた母親が珍しくそっと頭をなでてくれるときの感触、みんなに当番を押し付けられて一人で教室を掃除していたとき、何も言わずに教室に入ってきて手伝ってくれた口をきいたこともないクラスメイト。そういう大切な記憶が、人百合くんを見ているとふっと心の底から蘇ってくる。もしかして本物の天使を見たときも、そんなことを思い出すのかも知れない。〉こういう考え方をする毬の魅力が、そのまま作品自体の魅力になっている。暴動は起こる。血は流れる。世界は終わる。けれど、大切な記憶があれば、新しい世界をはじめることができる。いつまでもおぼえておきたくなる物語だ。

 (いしい・ちこ 書評家)

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