書評・エッセイ

2014年8月号掲載

別な視点で手に入れる世界

――石塚元太良・井出幸亮『アラスカへ行きたい』

新井敏記

対象書籍名:『アラスカへ行きたい』
対象著者:石塚元太良・井出幸亮
対象書籍ISBN:978-4-10-335771-1

『アラスカへ行きたい』、この表題に思わずほくそ笑む。「行く」でも「行こう」でもなく「行きたい」なんて、まるで雑誌の特集タイトルのようなアラスカ一途な本が現れた。
 著者は石塚元太良と井出幸亮の二人。石塚元太良はアラスカのパイプラインを撮影したシリーズ『Pipeline Alaska』で知られた写真家、井出幸亮は旅雑誌を経て数多くのカルチャー雑誌の第一線に携わる編集者だ。筋金入の旅人二人による「アラスカ総力特集」は、A5変型並製144頁の誌面に写真をふんだんに掲載し懐深いアラスカの自然を印象づける。中南部のデナリから東南アラスカ、果ては北極圏までの広大なアラスカのほぼ全域を網羅、見て、聞いて、感じた、渾身の紹介文は初心者も上級者も分け隔てすることはない。
 二人によるアラスカ体験はまずは気候、地形、歴史、文化を学ぶことから始まる。次にカヤックやバックカントリースキー、トレイルウォーキングなど、あらん限りのアクティビティを駆使して自然に分け入っていく。森と川と山と氷河、無窮の時間の中で流れる豊かな自然を丁寧に縁取っていく。時にアラスカを舞台にした様々な物語にも触れる。ジャック・ロンドンの世界やウィリアム・プルーイットの作品から極北の自然の厳しさを感じ憧れをさらに抱く。
 思えばアラスカの魅力を具体的に私たちに伝えてくれたのは星野道夫だった。見えない世界に価値を置く。僕たちが失ったアニミズムの世界だ。
“どうしてここに来たのですか? どうしてここに住んでいるのですか?”星野道夫が北極圏の原野の村人に必ず訊ねた質問だった。この地で人はどのように生きて死んでいくのか。彼は物語や智慧を克明に記録していった。例えば北極圏のブルックス山脈の先、やがて春が来る大切な時期に原野に向かって旅をする。昼間は凍結した風景が少しは緩むが、夜になるとしんしんと身体が冷える。火を熾す。周囲の林に炎の影が映って揺れている。深夜運がよければオーロラが見える。遠くで哭くオオカミのことを考えて眠りにつく。たった一人で原野にいると自然に添って生きることを学び風景の変化を理解していく。
 井出は星野からのバトンを繋ぐようにこう書く。
「本書に記されているのはあくまで『僕たちが見たアラスカ』でしかない。それぞれの土地の魅力をなるべく網羅しようと試みたが、歴史家の記す単線の記述がひとつの物語でしかないように、このガイドブックが指し示す風景もまた『銭湯の富士山』のごとき拙い書割に過ぎない」
 では、なぜアラスカなのだろう、なぜアラスカでなければならないのか。井出は読者の想いを見抜くようにこう続ける。
「行けば分かるさ、迷って行けよ」
 まさに旅の醍醐味、経験を積むために森を歩き町で眠るもよし。自分の五感を駆使して進め。それだけの価値がこの土地にはある。
「スキャグウェイの街から約3・2㎞ほど、デイアの町外れからトレイルはスタートする。デイアは1897年には荒野を目指す数万ともいわれる人たちが野営していた岸である」
 石塚のチルクート・トレイルを渡った文章がいい。一九世紀ゴールドラッシュを駆け抜けた人々を追体験するように誠実に描かれている。その中に『火を熾す』のジャック・ロンドンもいた。
『アラスカへ行きたい』は、二人が自らのフィールドワークを繋いだ十年の間に重層的に記されたアラスカ物語なのだ。その物語には嘘がない。見知らぬ土地に降り立った時にまず地図を買う。その地図に自分なりの旅の軌跡を書き込む、自らの足で確かめた情報を束ねて、先達が記した地図に重ねるときの謙虚さと心躍る気持ちに駆られる。どこにもない物語が写し取られていく。
 二人の旅の指向やスタイル、向かうべき場所は違っていても、アラスカはいつも叡智を持って彼らを照らしてくれている。経験に積まれた時間、二人の案内は十全ではないけれど、ささやかな役に立つ。そして次、この地図に誰が記憶を重ねるか、進むべき方位は与えられた。

 (あらい・としのり 編集者)

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