書評・エッセイ

2014年8月号掲載

大手マスコミが絶対に書けない“聖域”

――「選択」編集部編『日本の聖域(サンクチュアリ) この国を蝕むタブー』

湯浅次郎

対象書籍名:『日本の聖域 この国を蝕むタブー』
対象著者:「選択」編集部編
対象書籍ISBN:978-4-10-127243-6

「彼らは自らの安全が確保されている暗闇の中でしか、その悪逆非道ぶりを発揮できない。秘匿性こそ権力濫用の礎であり、濫用を可能にする力なのだ」
 米国家安全保障局の最高機密文書をリークした「スノーデン事件」。一連の報道を担ったグレン・グリーンウォルド氏の著書『暴露―スノーデンが私に託したファイル』(新潮社刊)の一節は、こう続く。
「その毒を消すことができるのはただひとつ、透明性しかない」
 権力には透明性と説明責任が求められ、市民には守られるべきプライバシーがある。だが、当節は世界のどこでもあべこべだ。個人の秘密は権力に筒抜けなのに、権力自身は高い秘匿性を享受している。権力を丸裸にしておくべきジャーナリズムが衰退してしまったせいだ。米政府が抱える闇を暴いた著作を読んで、小なりとはいえ月刊誌を発行する私は、我が身のふがいなさを痛感させられた。「暴露が足りない。日本のメディアは何をしている。権力が抱える不都合な事実をもっと暴露せよ」。そうなじられたかのような読後感だった。
『日本の聖域 この国を蝕むタブー』も、目指すところは暴露である。国内に点在する多種多様な権力は、政界や官界、医療界、教育界等々、それぞれの専門領域で利権を貪りつつ、外部のチェックを免れて安穏としている。その一つ一つに光を当てて、少しでも透明性を高め、可視化していこう――。
 この書籍の元になったのは会員制月刊誌『選択』の連載記事だ。その姿勢は、反権力で一貫している。「日本のサンクチュアリ」と題した連載は、創刊以来、もう四十年近く続いている。毎月の分量は、四百字詰め原稿用紙で十三枚程度。この紙幅に、時には3~4人の筆者が競い合うようにして情報を盛り込む。単行本はこれで3冊目だ。
 聖域だのサンクチュアリだのと言うが、一体なんのことか。ジャーナリストの池上彰氏は、文庫版『日本の聖域』(新潮文庫)の末尾で、こう解説している。
「現代の聖域とは、大手マスコミが追及に及び腰になる分野のことでもあるのか」
 最新刊の中から例をあげよう。「膨張する警察の『利権』―暴力団とパチンコがドル箱」と題した項では、歴代の警視総監を名指しして、天下り先で甘い汁を吸う構図を詳らかにしている。「暴力団追放」を錦の御旗に、ゴルフ場やパチンコ業界にOBを「派遣」(という名の天下り)し、警察一家の老後の面倒を民間企業にみてもらおうという魂胆。こんな話は、大新聞の記者なら先刻ご承知なのだが、マスメディアではタブーとなっている。
 理由の一つは、記者クラブだ。警察の利権に触れたりすれば、警視庁を筆頭に、各県の警察のクラブで取材がしづらくなる。特ダネを貰いそびれるかもしれない。ここはいっそ阿諛追従、警察の内情暴露はやめておこう、となるわけだ。
「スポーツマフィア 電通―競技団体・スポンサー・メディアを支配」では、巨大広告代理店がスポーツの世界で私欲のかぎりを尽くしている様を描いている。有力な選手をカネの生る木に仕立て上げ、メディアを使って人気を増幅させ、肖像権で荒稼ぎ。スポーツを汚す濡れ手で粟のビジネスだが、広告その他で電通に依存している新聞やテレビは、当然ながらモノが言えない。
 代理店だけでなく、広告主にも大手マスコミは頭が上がらない。「農薬ムラ―有害『ネオニコ系』を野放し」では、ミツバチが大量死し、人体にも悪影響が懸念されるネオニコ系農薬が大量散布される実態を明らかにしている。その神経毒性により子供の発達障害を引き起こす懸念が持たれているのに、マスコミはそっとなでる程度の報道しかできない。その訳は、この聖域の親玉が農協であり、その下には住友化学や武田薬品といった農薬メーカーが巣食っているからだ。これらはいずれも、多額の広告・CM料を流し込むことでメディアの懐を潤している大広告主だ。正面切っての批判などできない。こうした遠慮を「クライアント・タブー」という。
 大マスコミの自主規制が、権力に居心地のよい暗闇を与えている。国民の知る権利を、メディアが阻害しているのだ。
 本書による暴露など、「スノーデン事件」の世界的壮挙には遥かに及ばない。ただ、これからもこの国で生きていくのであれば、一編でも構わないので、読んでみていただきたい。読後、池上彰氏と同様の嘆息をもらすはずだ。
「そういうことだったのね。ここでも騙されていたのか」
 この国には暴露が足りない。

 (ゆあさ・じろう 月刊誌「選択」編集長)

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