書評
2014年9月号掲載
錯綜する時間の糸で織り上げられた物語
――松山巖『須賀敦子の方へ』
対象書籍名:『須賀敦子の方へ』
対象著者:松山巖
対象書籍ISBN:978-4-10-121176-3
須賀敦子(一九二九~一九九八)が亡くなって二年後に刊行が始まった『須賀敦子全集』のために、著者がつくった年譜は詳細で、すぐにも伝記を書けそうな内容だった。だが、この本のもととなった連載が「考える人」で始まったのは二〇一〇年で、それからかなりの時間がたっている。
時間は『須賀敦子の方へ』を構成する重要な要素で、まず各章の章題が、須賀の足どりを辿る著者の現在の時間と場所である。「考える人」は季刊誌なので、ひとつの季節がめぐるごとに、著者はゆかりの土地を訪ね歩き、そこで彼女が考えたことを思う。わからないことにぶつかれば、往時の彼女をよく知る人に会いにゆく。取材というより対話に近いもので、そうしたやりとりが須賀敦子をめぐる思索を深く掘り下げてゆく。
本に流れる時間は重層的で複雑なものだ。須賀敦子の人生を辿る著者の旅の時間を縦糸とするなら、横糸は二十四歳でフランスに留学するまでの須賀敦子の時間である。信仰においても表現においても、文中にひかれるサン=テグジュペリの言葉を借りれば、「できあがったカテドラルに席を得ようとする人間」ではなく、「自分がカテドラルを建てる人間」であろうとした須賀の足どりはまがりくねった細い道を進み、ときに見失いそうになる。
さらにそこには、親しい友人として二人がともに過ごした懐かしい時間や、戦後まもないころに匂いガラスを嗅いだ記憶を共有していたような、二人が知り合う前に流れていたはずの時間が差しはさまれる。錯綜する時間の糸で織り上げられた物語には、たっぷりとした厚みとでこぼこした確かな手ざわりがある。
この書き方を選んだのは、彼女の内省を追体験してみるためであっただろう。生前の須賀敦子と著者をつないだものは、著者の専門である建築であり、何より膨大な本を読んだ記憶と、その中の言葉である。ナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話』、スーザン・クーリッジ『ケティー物語』、庄野潤三『夕べの雲』、クロード・モルガン『人間のしるし』と、ここで取り上げられる本の読みはどれも面白く、それぞれの作品が須賀敦子という作家の中に反響しているのが読者にもはっきり聞き取れる。
なかでも影響を与えたのは森鴎外の『澁江抽斎』とみる著者は、鴎外がそうしたように、谷中の感應寺にある抽斎の墓にまいる場面からこの旅を始める。男子と同じ教育を受け、自立した考えをもち、当時としては遅い結婚をした抽斎の妻五百(いお)の生き方にとりわけ須賀は感銘を受けた。鴎外の史伝を読むように、と須賀に指示したのは彼女の父である。
「父親の妾など憎みながらも憎しみを情に変え、身寄りのない女を救った」と、著者がさりげなく五百を紹介する一節に、はっとした。須賀の父にも別の女性との家庭があり、母や若き日の須賀を苦しめたことは、彼女の『ヴェネツィアの宿』に描かれている。『澁江抽斎』について書くことは、本に託された父の思いもまた、五百という女性の生き方を通して受けとめた、というひそかなメッセージだったのだろうか。
記憶は生きもの、と著者は書く。本もまた生きもので、本を書く時間に起きたことが、書かれる内容にも変化をもたらす。連載中に起きた東日本大震災は、戦争をくぐりぬけて青春時代を送り、再びこうしたことをくりかえさないために自分には何ができるかを考え抜いた一人の女性の内面に、より目を向けさせることになった。
須賀敦子の笑顔は、花が開くように周りを明るく照らした。一輪の花の、表に出た花や葉だけでなく、地下に埋もれた茎や根まで分け入るようにして描かれたこの本は、笑顔のみなもとに、これほどの苦しみと真摯な努力があったことを伝え、静かに深い感動をもたらす。
(さくま・あやこ 文芸ジャーナリスト)