書評

2014年9月号掲載

生きる力と勇気を授かる

――中村元 訳/丸山勇 写真/佐々木一憲 解説『ブッダの言葉』

竹田武史

対象書籍名:『ブッダの言葉』
対象著者:中村元 訳/丸山勇 写真/佐々木一憲 解説
対象書籍ISBN:978-4-10-336311-8

 数多ある仏教経典の中でも、ブッダの教えに最も近いとされる原始仏典が、中村元博士の現代語訳によって続々と出版されたのは半世紀ほど前のことである。以来、誰もが、ブッダその人の語った言葉に気軽に親しめるようになった。私自身『ブッダのことば――スッタニパータ』や『ブッダ最後の旅――大パリニッバーナ経』などを何度も読み返してきた。
 恵まれた王宮の暮らしを捨てて出家したブッダの悩みが、生老病死の苦しみに満ちたこの世界をどうしたら克服できるか、という問いに発せられていることに共感する人は多いだろう。なぜなら文明社会が抱える様々な問題も、突き詰めればすべて生老病死の苦しみに行き着くわけで、ブッダの問いは人類にとって永遠のテーマともいえるからだ。
 ブッダの悟りの核心は、生老病死の苦しみを受け入れることだった。宇宙や大自然のはからいのなかで生かされている生命そのものに目覚め、「諸行無常」という真理を明らかにした。そして、一切の人間存在は無常であり、一切の物事は無常であるからこそ、人は人を慈しみ、人は物事に感謝することができると、ブッダは説いたのである。
 時には仏典に記された戒律の厳しさに、人生の喜びのすべてを否定されてしまったように感じることもあるだろう。だが、何度か読み返せば、厳しい戒律が出家僧たちのためのものであることが分かる筈だ。俗世に生きる私たちは、せめてそれら戒律の半分くらいは守れるように、日々に感謝して生きたいものである。そして何よりも、一切の人間存在を無常としながら、人を助け、導くことに生涯を捧げたブッダという人がいたという事実に、私たちはいつだって、生きる力と勇気を与えられているのである。
 いっぽう、インドには、ブッダが苦行し、悟りを開き、布教活動を行った聖地が存在する。今から40年程前、大先達である写真家・丸山勇氏は初めてインドを訪問し、聖なるヒマラヤ山麓から北インドにかけてブッダの足跡を辿り、その後さらにインド亜大陸全域の仏教遺跡を巡る撮影旅行を重ねてこられた。これまでのインドへの渡航は23回を数えるという。
 丸山氏は初めてインドへ旅立つ前年に、中村博士に会われている。おそらく、インド亜大陸に散らばる仏教遺跡・仏教美術を写真に記録し、世に伝えることの意義が語られただろう。また、1970年代といえば、ベトナム反戦運動を発端にアメリカで起こったヒッピームーブメントが、全米、そして世界中を席巻した時代でもある。74年生まれの私は、当時の熱気を想像してみるしかないのであるが、日本でも、ブッダの思想に影響を受けた芸術家たちが、荒廃した文明社会を脱し、東洋へ、魂の故郷へ帰ろうとする新しい潮流を生み出そうとしていた時期だったように思う。果たして、丸山氏もそのような熱気のなか、インドへの想いを温め、中村博士と夢を語り、ブッダの聖地巡礼へと旅立たれたのであろうか。
 丸山氏の写真を眺めていると、人々に注がれるブッダの慈愛にも似た温かな眼差しを感じずにはいられない。一家総出で収穫に汗を流し、洪水のなか薪や穀物を入れた袋を頭に載せて移動していく農民たちの姿はとても印象的だ。また、タンドールの上でチャパティを捏ねる料理人の眼差しは真剣なのに、裸体のまま苦行を続けるサドゥーはどこか冷めた笑みを浮かべている。路上では椅子にまどろむ男のあご鬚に床屋の主人が今まさに刃を当てようとしていたり、親子ほど年の差のある二人の僧侶が托鉢しながら目の前をとぼとぼと通り過ぎていく。夜中だというのに花嫁行列は歌い踊り、それでも夜明け前の川の畔には、もう、橙色に染まる空に向かって静かに頭を垂れる人がいるのである。
 そんな悠久ともいえるインドの大地と人の存在感に比して、私たちはなんと慌ただしく、目まぐるしく日々を生きていることだろう。けれど、それもまた諸行無常である。そして今日思い立てば、明日の飛行機に乗ってインドのどこかの町に降り立ち、聖地巡礼に赴くことができる――そんな便利で幸せな時代に私たちが生きているのも事実なのである。ブッダの言葉と丸山氏の写真で綴られたこの本が、多くの人の疲れた心を癒し、いつの日か、ブッダの聖地を目指すきっかけとなることを希う。

 (たけだ・たけし 写真家)

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