インタビュー

2014年10月号掲載

『私家本 椿説弓張月』刊行記念 インタビュー

すべては人の心を描くため

平岩弓枝

対象書籍名:『私家本 椿説弓張月』
対象著者:平岩弓枝
対象書籍ISBN:978-4-10-124119-7

――滝沢馬琴の『椿説弓張月』は、弓の名手と名高い豪傑・源為朝の流浪と冒険の物語に、保元の乱や琉球王朝の史実を取り入れたダイナミックな物語です。江戸時代は『八犬伝』を超える人気だったそうですが、今では隠れた名作となっています。今回、平岩さんが小説として甦らせようと思われたきっかけは何だったのでしょう。

平岩 三十年ほど前に『弓張月』の現代語訳を手がける機会があり、またその後『南総里見八犬伝』をかなり省略して読みやすく仕立直しをした時にも『弓張月』を読み直して、「これも、同じ手法で読みやすいものに出来ないものか」とは思っていたんです。でもそのためには、冗長な部分をカットしてテンポを良くしたり、細かく手を入れる必要がある。『八犬伝』の場合は八犬士を一人ずつ主人公にした短編を最後にまとめるという、わりに書きやすい構成だったんですが、『弓張月』は歴史的な事実とフィクションがないまぜになっている登場人物にリアリティを持たせるよう、糸のないところに糸を繋ぐ手間が大変なことは想像できたので、着手するのにずいぶん時間がかかってしまいましたね。

――「糸のないところに糸を繋ぐ」とは?

平岩 たとえば、為朝は「崇徳上皇の恩」を強く感じていて、それが彼の行動に大きな影響を及ぼすのですが、この「恩」というのが若い頃に弓の技を一度褒められただけのことなんですね。当時にしてみれば大変な名誉ですけれど、現代の読者は「ただそれだけで?」と思うかも知れない。その読者の「なんで?」に答える描写や説明を書き足して、人物の心の動きにリアリティを持たせるのです。

――古典ではあっても、そうしたところに平岩さんの創作が織り込まれているんですね。

平岩 小説は人間の心を描くものだと私は思っています。その人はどんな生い立ちで何を心の基準にしていたのか、思い通りの人生を送れたのか、送れなかったとしたらそのことをどう思っていたのか――それを理解することが出発点です。原作に忠実でなければいけないし、辻褄が合わなくなってもいけない。創作を織り込むにしても、その兼ね合いが難しくて書き終えた直後は精神的疲労で放心状態になりました。

――そのご苦労の中にあって、この作品を書く推進力になったのは何だったのでしょう。

平岩 海が好きなので、琉球編を書くのをずっと楽しみにしていました。『弓張月』の時代は、平清盛が宋と盛んに貿易するなど日本人の目が陸から海に向いた史上何度目かの機会で、その前後の時代とは海の見せる顔が違うんです。また為朝が琉球に渡り、息子の舜天丸が琉球の舜天王になったという伝説を歴史と如何になじませられるか、フィクションであってもそこに説得力を持たせたくて、工夫を凝らしました。

 人物では為朝はもちろん、為朝の忠臣、八町礫(はっちょうつぶて)の紀平治を書くのが楽しかったですね。忠義者で舜天丸を何年も孤島で守り育てるところなんか良いんですよ。でも馬琴は善人を片っ端から殺しちゃう。紀平治は生き永らえますけど、他の人達はバッサリ。為朝の妻、白縫も原作ではあまりに夫婦の縁が薄くて気の毒なほどです。

――たしかに殺す必要のない人物や重要人物までが次々死んでいくのには驚かされました。

平岩 あまりに残酷なので、少しずつ延命しましたけれどね(笑)。その一方で悪人はすごくイキイキと描かれるんです。これは馬琴が現実生活が自分の思うにまかせず、人間の善なるものを信用していなかったからかもしれない。私自身は若い頃から人に恵まれているせいか悪を書くのが下手なので、悪を鮮やかに描ける作家・滝沢馬琴に大きな魅力を感じますね。

――原作者に敬意を表しつつ、作品を一度解体して編み直す繊細な仕事を終えられて、今どんなお気持ちですか。

平岩 いい勉強をしたなあという感じです。もう少し若い時にやっておくべきだったと後悔しましたけど、多くの仕事を抱えていた時代だったらこれほど丁寧に作品と向かい合うことは不可能だったでしょう。今は、なるべくたくさんの方が読んでくださるようにと願っています。

 (ひらいわ・ゆみえ 作家)

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