書評
2014年10月号掲載
マレビトの余生
――長谷川郁夫『吉田健一』
対象書籍名:『吉田健一』
対象著者:長谷川郁夫
対象書籍ISBN:978-4-10-336391-0
「余生」ということを考え始めた直接のきっかけは大瀧詠一さんのラジオ番組で、大瀧さんは一九八四年の『EACH TIME』というアルバムを最後に二枚のシングルを除いてオリジナル作品を発表することなく三十年の長きに亘る「余生」を送って昨年末この世を去った。享年六十五歳、といえば吉田健一である。この数字にとりつかれたのも吉田がきっかけであり大瀧さんの亡くなった直後に愕然とした理由の一つがこれだった。大瀧さんが吉田と同様「マレビト」であったことは間違いなく、その「余生」においてポピュラー音楽についての貴重かつ膨大な研究をラジオ番組として残したのだった。
先輩の黒沢清が「老後の楽しみ」という言葉を使ったのはアメリカのロバート・アルドリッチの代表作『ロンゲスト・ヤード』を評するためでこれは河上徹太郎的な用語ということになるが、実はアルドリッチも六十五で亡くなった。今年五十歳になった存在にとって数えるまでもなくあと十五年で達する年齢までの歳月を「余生」と決めたこの一年間の数少ない楽しみが「新潮」に断続掲載された『吉田健一』だったことはいかなる偶然か。おまけに連載開始の頃にはアルドリッチの時ならぬ特集がこの国で組まれてもいる。
もちろん「余生」が必ずしも「楽しみ」づくしだということなどまずないだろうことを吉田のことを考えずとも自認しているつもりの子供の頃から年表好きのこの書き手は文庫の付録であるそれを繰り返し繙き吉田の「余生」が五十七からの八年間だったことを何度も確認してきた。決して吉田のよき読者などと自慢しようもないこの愚鈍な輩はしかしこの年表と著書目録にだけは何度も目を通していて、同時によく記憶している平成二年から始まる新しい吉田発見の文庫連続出版のその発見の旅を平成四年の中上健次の逝去により一時的に中断を余儀なくされた個人的事情を持っている。さらに「余生」を持つことのなかった中上の没年齢四十六に自分が近づくにつれて再び本格的に吉田に吸い寄せられていった事情もある。その頃考え始めたのが六十五歳の死ということだった。
平生なら一面識もない方をさん付けで呼ぶことを憚るのが常だが吉田愛に満ちた労作『吉田健一』の筆者への心からの親愛の情を持ってあえて試みると、長谷川さんは吉田と中上の関係に触れてはいないけれど少なくとも寺田博という名編集者が二者を結んでいることは誰の目にも明らかで、中上が「マレビト」であったかどうかは定かではないがしばしば中上は貴種流離譚の書き手と評されたから「余生」とは無縁のこの小説家もその点で吉田的なるものと繋がりはすると考えるのはごく個人的な雑感の部類だろうか。
六十五歳の死といっても酒も煙草もやらなかった大瀧さんのそれと両切りピースをくゆらせる酒豪の吉田のそれとが百八十度違っていると言うこともできるし同時に変わるところはないと言うこともできるだろうからその点は自らの「余生」にとって何の参考にもならないと考えていい。長谷川さんもそれを重要視することはなくただ吉田的「時間」に忠実な出来事としてだけ叙述なさった。その認識が吉田の葬儀に立ち会った二十九歳の暗澹たる記憶から現在に至るまでの長谷川さんの「時間」そのものであることをごく陽気に祝福しながら噛みしめることのできるのがこの評伝であると言ってもいい。何しろ吉田しかり大瀧さんしかり「マレビト」はいたって陽気な存在なのだと誰もが知っている。この陽気さがなぜか人を救うがゆえにかれらは「マレビト」と呼ばれるのかもしれない。そして「マレビト」が「何かの束縛を解かれたのが余生であつて、」「余生があつてそこに文学の境地が開け、人間にいつから文学の仕事が出来るかはその余生がいつから始るかに掛つてゐる」としたらもしかするとこれからの十五年も案外棄てたものでもないかもしれないと凡人も陽気に夢想できるのだ。
(あおやま・しんじ 映画監督、作家)