書評
2014年10月号掲載
最高に贅沢な読書体験記
――はるな檸檬『れもん、よむもん!』
対象書籍名:『れもん、よむもん!』
対象著者:はるな檸檬
対象書籍ISBN:978-4-10-121531-0
作家デビューしてから、読書体験を語ることを求められるようになった。少女小説好きを公言しているので、それほど気負わずに済むが、大人になれない夢見がちな性分がバレてしまうのはちょっと恥ずかしい。そんなわけで、正直に話していても魔が差す瞬間が訪れる。誰も知らないような南米文学のタイトルを口にしたら、尊敬されるかもしれない、などと浅ましく考えてしまうのだ。そもそも読書で自分が高められたという実感があまりない。ただなんとなく読んできただけ、なんて言っては記事にならないかな、と思うから、それらしい理由付けをいつも探してしまうのだ。
はるな檸檬さんの著書『れもん、よむもん!』にはそうした気取りや自意識が一切ない。登場する作品は、図書館で出会った児童書に始まり、思春期に友達からすすめられた村上龍に山田詠美、吉本ばななといった、どんな書店にも必ずあるような(そして私も大好きな)超人気作品がずらりと並ぶ。檸檬さんは高尚さを装ったり、背伸びするためではなく、喉の渇きをうるおすようにひたすらに活字を求めるのだ。その姿は貪欲と言ってもいい。少女時代のあやふやな心をなんとか自分の手で支えようとするひたむきさ、そしてたっぷりとある放課後の中で気ままにさまよう心が、柔らかでひょうひょうとした檸檬さんのタッチにぴったりだ。ある時は、本に顔を埋めて体育座りで、またある時は椅子に腰掛けひどい猫背でむさぼるようにページをめくる。その無心な姿が、こちらの読む欲求まで刺激してくる。読むことは水を飲むようなことで、誰かの目を意識する必要はない、すべてをうっちゃらかして、こうやって気が済むまで没頭していればいいのだ。それが許される季節のなんと贅沢なことか――気負いのないのびやかな語り口がうらやましくさえ思えてくる。
檸檬さんの憧れの同級生、はるなちゃんのキャラクターがまたすばらしい。こんな子が思春期にそばにいてくれることは女の子にとって本当に幸せなことだと思う。個人主義で大人びた彼女が読書を通して、自分をきらきらした目で見上げる檸檬さんに次第に心を開いていく様が綴られる。はるなちゃんと檸檬さんが交流する場所は、図書室や教室、お互いの家などに限られているが、そこで交わされる会話は二人がおそらくまだ知らぬセックスや、死について。部活や恋愛に熱くならなくても、おでこをくっつけながら語り合ううちに、二人の世界はどんどん広がっていく。読者にとって嬉しいことに、大人になった今も彼女達のやりとりは続いていることが後半に判明する。マイペースな自由人に見えたはるなちゃんがよしもとばななさんを語るうちにふと打ち明けた胸のうちは、二人がただの友達ではなく魂の同志であったことを、さりげなく証明しているのだ。二人が同じ「はるな」という名を持つのは決して偶然ではないのである。
付け加えると、個人的には数々の山田詠美作品の名シーンを檸檬さんの絵で楽しめたことは貴重な体験だったと思う。(「風葬の教室」の杏はこんな目でクラスメイトを軽蔑したのか、『放課後の音符(キイノート)』の美少女たちはこんなにしなやかな身体で、こんなに涼しい瞳をしているのか、と膝を打った。この年になってあの頃、さんざん心に思い描いた彼女達に出会えるとは!!)
それほどまでに読書にのめり込んだ檸檬さんはある瞬間から、本をあまり読まなくなる。嘘がないこのくだりが私は特に好きだ。コップいっぱいの水が表面張力でふるふる揺れるように、彼女の中で何かがすでに満ち足りてしまったのが、読んでいるこちらにもよくわかるから。それは少し寂しいことのようにも思えるけれど、同時にそれだけ物語を蓄積して、次の季節に旅立とうとする、第一幕の明るい終わりでもあるのだ。
本書は活字がひとりの女の子の身体の中で血肉になっていく瞬間の積み重ねを丁寧にとらえた、溢れるほどに豊かな青春の記録である。
(ゆずき・あさこ 作家)