書評
2014年10月号掲載
ゼロからプラスを生むために
――早野龍五・糸井重里『知ろうとすること。』(新潮文庫)
対象書籍名:『知ろうとすること。』(新潮文庫)
対象著者:早野龍五・糸井重里
対象書籍ISBN:978-4-10-118318-3
いま、私は東京大学とスイス・ジュネーブのCERN(セルン)(欧州合同原子核研究機構)を研究拠点にして活動していますが、同時に、東日本大震災の際に福島第一原子力発電所の事故による放射線について、Twitter から情報発信を行なって以来、福島での内部被ばく状況も調べ続けてきました。
福島では、南相馬市立総合病院で非常勤としても勤務されている東大医科研の坪倉正治先生や、福島県立医大の放射線医である宮崎真先生と一緒に、ホールボディカウンターを使った内部被ばく検査や、学校給食の放射線量を継続して調べる陰膳(かげぜん)調査などを行ってきました。そして、原発事故から3年半経ち、放射線値を計測し評価を重ねた結果として、福島に暮らす方の内部被ばくについては、日常生活が脅かされるような状況とは無縁であると、自信をもっていえるようになりました。
昨年の春、糸井重里さんに声をかけていただき『ほぼ日刊イトイ新聞』で、糸井さんと、福島の放射線問題について対談をしました(「早野龍五さんが照らしてくれた地図」http://www.1101.com/hayano/index.html)。そのときの反響のあと押しもあり、震災から3年半経った今、私自身、ここまでの仕事を一冊の本にまとめたいと思うようになりました。
福島の放射線被ばくに関しては、どう語りかけても絶対に考えを変えない方もいらっしゃるでしょうし、逆に全く気にかけない方もいます。そうした人には私たちの声は届かないでしょう。でも、問題の両はじにそういう方が1割ずついるなら、その間には私たちが調べたことに耳を傾け、敏感に反応してくださる残りの8割の方々がいるはずで、私たちはそこに向けて語るべきではないか。そこには例えば、福島で子どもを育てるお母さんや高齢者もいるでしょうし、これから社会に出る若い人たちや、もちろん福島以外で暮らす人々もいる。次第に、この本の読者の姿が具体的に見えてきました。と同時に、そういう方に語りかけるなら狭い領域で読まれる専門書でなく、安価な文庫本がふさわしいと考えました。
その後も、糸井さんとは繰り返し対談を重ねました。糸井さんは真ん中の8割の方々の代表のひとりとして、私に問いかける役をあえて買って出て下さった。そして専門的な話もするけれど、さらに普遍的な事柄へと話題がふくらむよう、見事に対話をリードして下さいました。
私の Twitter を以前からフォローして下さっていた糸井さんは、最初の対談のときに、「いつ、どういうかたちで、お会いするのかが、すごく大事だと思ってたんです。で、ようやく時期は来たかなぁと。」とおっしゃった。実は私も同じ気持ちで、これまで論文や講演会で語ってきた「福島の被ばく量は大きなものではないので、心配しなくていい」ということを、もっと大きな場所で語るべきで、その時が来たと感じていました。
今でも福島では水道水を飲んでも大丈夫でしょうか、と尋ねられます。それは3年前と変わりません。もちろん、その誰もが感じる心配を受け止め、数値的には問題は無いことを繰り返しわかりやすく説明するのも、学者としての大切な仕事です。でも、それはマイナスをゼロに戻すことにしかならず、僕らも現場のお医者さんもあまり気分が上向かないことが多いんです。だからこそ、この原発事故がなかったら起こりえなかった「プラス」をあえて探すことができないか。
そんな思いもあって、私は福島県立福島高校の生徒たちに、大学の物理学レベルの授業をしたり、CERNで行われた欧州の高校生が集まる国際ワークショップに彼らを引率し、福島県の内部被ばくと外部被ばくの調査結果を英語でプレゼンさせるなど、様々な活動をしてきました。スーパーサイエンスハイスクールに指定されている福島高校の生徒たちの吸収力は驚くべきもので、その経過もこの本に記しました。
風説に惑わされることなく、自分たちで調べ、考える力を鍛えて、将来、自分たちの育った故郷に負い目を持たずに巣立っていけるようになること。それは、糸井さんが付けて下さった『知ろうとすること。』という素晴らしいタイトルそのままに、彼らの未来を指し示すように思うのです。この本の表紙カバーには、糸井さんと私と一緒に福島高校の生徒たちが登場しています。その彼らの笑顔の中に、福島で見つけたプラスの姿が端的に表れていて、本当にうれしいのです。
(はやの・りゅうご 東京大学大学院理学系研究科教授)