書評
2014年11月号掲載
『親鸞「四つの謎」を解く』刊行記念特集
齢九十で挑んだ新しい親鸞伝
――梅原猛『親鸞「四つの謎」を解く』
対象書籍名:『親鸞「四つの謎」を解く』
対象著者:梅原猛
対象書籍ISBN:978-4-10-303024-9
新しい親鸞伝の試みである。この試みはすでに著者の『法然の哀しみ』(2000年)という壮大な法然伝の中に「親鸞からみた法然」というかたちで孕まれていた。このたびの親鸞伝はこれを反転した「法然からみた親鸞」という視点が、記述の主な要素をなしている。確かに法然とのかかわりなくして親鸞は存在しない。この当たり前の事実を踏まえると、親鸞の中の法然という問題意識がなくては、親鸞伝は十分なものとはなりえないことがわかる。
親鸞における法然という存在の途方もない大きさについて教えられたのは、真宗大谷派の僧侶佐々木正によってである。『親鸞始記』(1997)にはじまり、最新の『法然の思想 親鸞の実践』(2014)にいたる諸著作において、思想面の根底的な影響ばかりか、結婚までが法然の指令によるものだったと指摘されているのだ。正直なところ驚いた。法然と、法然の説く専修念仏に帰依した公卿九条兼実との話し合いの中で、兼実の娘、玉日を娶わせられることになった親鸞。これを伝えるのが、これまで偽書扱いされてきた存覚(親鸞と恵信尼の娘覚信尼を曾祖母とする)の書いたとされる親鸞の伝記『親鸞聖人正明伝』だというのである。
佐々木の静かで緻密な論証を前にして、それでも疑念は残った。親鸞が親しんだ女性は複数いたであろうが、その名前が伝わっているのは妻である恵信尼一人のみだ。系図では親鸞と九条兼実の娘との間に男の子が一人あるとされているものの、娘の名が記されているわけではない。九条兼実の記した日記『玉葉』にもその名は出ていない。『正明伝』はこの女性を玉日と記し、生まれた男子を印信としている。しかし、他方で、男子の名を善鸞であるとする説得力ある見方もなされている。もし、善鸞であるとなれば、『正明伝』の信憑性はそこから危うくなる。
ところが著者は、右の佐々木説を真正面から受け継ぎ、この仮説をいっそう確かなものへと推し進めるという作業を自分に課したのである。すなわち『正明伝』を親鸞の実像を伝えるものとみなし、それを証明し、その上で『正明伝』に沿って、親鸞の生涯の「四つの謎」に迫るという大胆な道筋を選んだのである。なんともスリリングである。
著者はまず、いくつものこれまで伝わる親鸞伝を比較・検討し、さらにフィールド調査に赴き、『正明伝』が偽書どころか、存覚の手になる、信頼するにあたいする唯一の伝記であると判定する。『正明伝』が信じられるなら、そこに描かれている玉日は実在し、親鸞の最初の妻であったことも事実となる。であれば、どこかに玉日が実在したという痕跡が残されているに違いない。フィールド調査は、この仮説を立証したと著者は断言する。調査に赴いてみると東京にも、関東にも玉日の痕跡がはっきりと認められる。京都は親鸞よりも玉日に関する遺跡のほうが多いくらいだと、著者は述べる。
こうして玉日の実在が確定すると、必然的に恵信尼の位置も確定する。流罪となった親鸞に同行して越後に行った恵信尼は玉日の侍女であり、流罪中に玉日が死んで、恵信尼が後妻になったというのが著者の達した結論になる。
さて、著者が立てた「四つの謎」は以下である。謎は順を追うごとに、重みを増してくる。
(一)たった九歳という年齢で比叡山の天台座主慈円に弟子入りしたのはなぜか。
(二)なぜ二十九歳の比叡山のエリート親鸞は、慈円のもとを去り、栄誉にも権勢にも無縁な法然門下に入ったのか。
(一)(二)のどちらにも関連する人物が慈円である。慈円は親鸞という名を一言も出していない。親鸞も慈円の名をいっさい口にしていない。慈円という人物の不気味さが際立つ。
(三)なぜ親鸞は結婚したのか。この謎は、結婚相手が誰であろうと成立する。そしてこの謎は(二)の謎と深く関連している。すなわち法然、親鸞の思想と、当時の南都北嶺の僧たちの思想との対立の大元の一つであった。だが、最初の結婚相手は誰かという謎になると、話題は思想を離れ、伝記的になる。
(四)親鸞にみられる異常なほどの悪の自覚、殺人を犯す悪人に自己を重ねてやまない自意識はどこからくるのか。
著者は『歎異抄』第三条(悪人正機)や第十三条(宿業論)について語り、親鸞が『教行信証』にていねいに抜粋した『涅槃経』の父殺し事件に言及する。読者は、この最後の謎を解く過程で、親鸞が法然を離脱してゆく場面を目撃することになるだろう。親鸞が死んだのは九十歳、その齢に近づいた著者が全力で挑んだ親鸞伝である。
(せりざわ・しゅんすけ 評論家)