書評

2014年11月号掲載

五世代の亥女たちとちょっと懐かしい東京

――中沢けい『麹町二婆二娘孫一人』

中島京子

対象書籍名:『麹町二婆二娘孫一人』
対象著者:中沢けい
対象書籍ISBN:978-4-10-437704-6

 亥年生まれが三代揃うと家が栄える、と言われているのだそうだ。知らなかった。私は辰年生まれで、辰年が三代揃うと家が栄える、と憶えていた。いずれにしても、同じ干支が三代続くのは縁起がいいそうだ。
 彼女たちは麹町にある古い家で暮らしている。戦前から麹町に家一軒持っているのだから、視点人物の美智子さんのお母さん、富子さんは、「家付きのお嬢さん」なのである。しかし富子さんにとって、お嬢さんが住むべき「家」とは空襲で焼け落ちる前の家であって、戦後に建てなおした家のことではないらしい。皇太子妃(いまの皇后)のご成婚の余波で名づけられた美智子さんの代になると、お嬢さん度はぐっと低くなる。他人のプライバシーに立ち入るのを極度に恐れる性向に東京人気質は顕れるものの、美智子さんはしっかりした職業婦人のシングルマザー(夫とは離婚)で「お嬢さん育ち」の富子さんの気位の高さは持ち合わせていない。これが美智子さんの娘でローティーンの真由ちゃんとなると、ロリータファッションに身を包み、自らもロリ系の服や小物を手作りしてネット販売するたくましさ。でも、いずれにしても、いいおうちで育ったおっとり感のある女三代である。
 この三人に、住込みのお手伝いのきくさんとその娘の紀美ちゃんがいっしょに暮らす家は、そうとう大きなものに違いない。きくさんは戦前から富子さんの家で働いていた女中さんで、生涯で二人の夫を持ち、なぜだか娘を連れて舞い戻った。紀美ちゃんは二度目の結婚でできた子供だ。
 上から順にならべると、きくさん、富子さん、美智子さん、紀美ちゃん、真由ちゃんの順になり、きくさんと富子さん、美智子さんと紀美ちゃんの間が一回り、富子さんと美智子さん、紀美ちゃんと真由ちゃんの間が二回りずつ違う計算になる。
 本書の一つの読みどころは、やはりこれが東京小説だという部分だろう。
 麹町はもちろん、紀尾井町、九段、靖国神社、千鳥ヶ淵、山王日枝神社に神田明神といった、どことなく懐かしい地名がたくさん出てくる。登場人物たちが会うのも、「グランドパレス」だったり、神田の「やぶそば」だったりする。
「(お城の)四谷の大木戸より先はもう江戸の御府内ではなかったと言うから、麹町は目と鼻の先にお城をのぞみながら、町のはしは御府内の外へと伸びていることになる」。
 江戸情緒をその地名に残すような場所を、彼女たちは生活圏にして生きているのだ。それがこの小説に、どこかのどかなテイストを加えている。高層ビルがにょきにょき建って行くような戦後的な発展を遠巻きに、少し揶揄するようにして見守りながら、静かに時代の空気を呼吸してきたらしい昔ながらの東京が、ページのそこここから立ち上ってくる。
 美智子さんの意識は、母親の記憶である戦前や、麹町に山羊がいたり玉蜀黍畑があったりする戦後まもなくに遡り、美人で鳴らした友人アブと過ごし夫にも出会った七〇年代に飛び、紀美ちゃんの夫が株にハマるきっかけとなったバブル景気、怖い思いをした地下鉄サリン事件、そして真由ちゃんがハマりこんだロリータファッションの今など、縦横無尽に流れていく。古いものに惹きつけられていく美智子さんの傾向は、思わぬところで「物の怪」と遭遇させもするが、失われたものや人を引き寄せもする。
 二人の老婆もなんのかんの言いながら時の流れを受け入れ、真由ちゃんは少し成長し、紀美ちゃんにも大きな変化が訪れる。
 全体に優しい空気が漂うのは、亥年の女が賑やかに集まった幸運によるものだろうか。世相を抉り出そうと必要以上にスキャンダラスな事件やモティーフが描かれる現代小説の対極にあるような作品で、読み終えて、適度な温度で淹れた品のいいお茶を飲むような、ゆったりした気持ちになった。

 (なかじま・きょうこ 作家)

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