書評
2014年11月号掲載
非常勤講師の実態を白日の下にさらすキャンパス小説
――高殿円『マル合の下僕』
対象書籍名:『マル合の下僕』
対象著者:高殿円
対象書籍ISBN:978-4-10-121221-0
関西の名門女子大学の環境学部・総合文化学科という、文・理混合学科で非常勤講師を務める瓶子貴宣(へいしたかのぶ)博士(史学科出身、二九歳)を主人公とするこの物語は、かねてオーバードクターというミゼラブルな人たちに同情してきた評者(元工学部教授)にとって、とても参考になる小説だった。
常勤講師は年俸五百万円以上で、准教授、教授への道が開かれている。一方、非常勤講師は一年契約の臨時職員で、九〇分の講義一コマの報酬は月額一万二千円(月四回として時給二千円!)だから、九コマを担当しても、月収わずか十万八千円である。ボーナスも昇給もないし、報酬が支払われるのは学期中だけである。
家賃三万五千円のアパートに住む主人公のところに転がり込んできたのが、姉の息子・誉(ほまれ)である。瓶子講師は、誉少年にまともな生活をさせてやるべく、もう一コマ多く講義を担当したいと考えていたが、突然出現したライバルに、二コマを横取りされそうになる。
評者の経験では、週一〇コマの講義を担当すれば、論文を書いている時間はない。ところが瓶子講師は、学食の一八〇円うどんをすすりながら、研究にも精を出すワーカホリック&ワーキング・プアである。
大学というところは、“超”格差社会である。助教、准教授、教授というヒエラルキーの頂点に君臨するのが、この本のタイトルになっている“Dマル合”教授である。これは、博士論文の合否判定を行う資格を持つ教授のことで、この認定を受けるためには、博士号を持ち、毎年相当数の論文や著書を発表していることが条件になっている。
理工系大学にはDマル合教授が大勢いるから、“おれはマル合だぞ”と威張ったらバカにされるだけである。しかし、博士号を持つ教授が少ない文系学部や文・理混合学部では、絶大な権威を持っているらしい。
要領が悪く運も悪かったために、出身大学から放出された瓶子青年は、将来は常勤ポストに就くことを狙っている。その近道は、節を曲げて“マル合の下僕”になることである。はたして瓶子青年は、アカハラ、セクハラ、中傷誹謗、足の引っ張り合いなど、何でもありの大学で、常勤ポストにありつくことは出来るのでしょうか???
評者が勤務していた理工系大学にも非常勤講師はいる。しかし彼らは定職がある人で、担当するのは高々週二コマだった。またアメリカの大学には、非常勤講師なる人種はほとんどいなかった。
日本の大学には、なぜこれほど多くの非常勤講師がいるのか。その理由は、常勤スタッフがあまり働かないこと、非常勤講師の採用が常勤教授の利権に結びついていること、“教えなくてもいい科目”が多すぎること、そして国が博士の大量生産をプッシュしたことではなかろうか。
変人奇人ばかりが登場する物語であるにもかかわらず、読後感が爽やかなのは、誉少年のおかげである。家事の切り盛りが上手で、学校の成績もいい。そして、要領と運が悪い叔父を激励し、自分を捨てた母親にも理解を示す、“出来がいい”小学生である。
また名門出身の変態常勤講師、千万円単位の研究費を持つアカハラ・マル合教授、実力派の腰かけ女性助教などが、この物語に花を添えている。日本には数少ない、見事なキャンパス小説である。
著者の高殿円氏は大学勤務の経験はないようだが、大学の内情に関する詳細かつ正確な記述に唸らされた。評者の視力が衰える前に、続編が出ることを期待している。
(こんの・ひろし 作家)