書評・エッセイ

2014年11月号掲載

スパゲッティーの味

――都甲幸治『生き延びるための世界文学 21世紀の24冊』

町田康

対象書籍名:『生き延びるための世界文学 21世紀の24冊』
対象著者:都甲幸治
対象書籍ISBN:978-4-10-332322-8

 ある日の午後。二時過ぎであったと思う。私は海辺のカフェでミートソースのスパゲッティーを食した。私は食通でも美食家でもないが、その私が食べて不味であった。それも並の不味ではない、責め苦のような不味であった。もはやそれはひとつの暴力であった。同行する人があったので私は、その人が別のものを註文したのを心のなかで寿ぎつつ、無表情でそれを食した。怒りや悲しみはなかった。ただ、驚いた。そして純粋な苦しみだけが身の内を通り過ぎていった。
 その日、私は夜八時を過ぎてまだそのスパゲッティーについて考えていた。私は不思議でならなかった。なぜ、平成二十六年の、明治以降、近代化に邁進、二つの世界大戦を経験し、敗戦後の歴史を経ていまにいたったこの日本に、このスパゲッティーが存在するのか。いくら考えてもわからなかった。そのとき、私は、あのスパゲッティーについて多くの人と語り合いたいと痛切に思った。自分で考えてわからないのならば、多くの人と話し合い、その話し合いのなかになにかを見出したい、と思ったのである。
 けれども世の中の多くの人はあのスパゲッティーの味を知らない。知らなければ議論が成立しない。ならば多くの人にあのスパゲッティーを食して貰う必要があるが、真面目に働いて納税している市民にあのスパゲッティーを食べさせる、など私にはできない。ならば、私にできることはただひとつ、あのスパゲッティーの味を文章に綴り、それを読んで頂いたうえで、話をすればよい。そう思った私は頭の中で文章を組み立て、また、それをメモするなどし始めた。けれどもうまくいかない。実感は生々しく残ってあるのに、それが言葉になっていかない。そこで、苦し紛れに、これを舞踊の形で表現したら或いはよいのではないか。そう考えた私は、立ち上がって舞い始めた。ときに優美に、ときに激しく。したところ、段々に調子が出て、よい感じになってきた。夢中で舞っていると、突然、頭の中に他者が現れた。他者は言った。
「それ、伝わらんやろ」
 確かにその通りで、実は私も途中でそれに気がついていた。途中から私はスパゲッティーの味のことを忘れたわけではないが舞踊そのものに主眼を置くようになっていた。それでは当然、誰にも通じない。なので私が頭の中で組み立てた文章も舞いにもなんの意味もなく、というかそんなものはクソ同然のくだらないことで、そんなことはさっさと忘れ、もっと自分を高めていく努力をしなければならない。
 と、私はさっきまで思っていたのだが、いまは思わない。なぜなら、都甲幸治『生き延びるための世界文学』を読んだからである。
 この本は、いま、起きていること、は基本的には、伝わらない、ことだということを教えてくれた。考えてみればその通りで、作者が言っているように世の中には大きな流れがあるけれども、それは時間が経って初めてわかることで、いま現在、起きていること、はそこにいるひとりびとりの人間がそれぞれ把握できる範囲のことしかわからず、効率をあげる努力を一方でしながら同時に、無数のへまや失敗、無意味な出来事が積み重なって、筋道だった文脈にはけっしてならない。つまり、伝わらない。
 しかし、しかれども。この本は同時に、その伝わらないことを、物語にしたり、歌ったり、踊ったり、いろんなことをしながら伝えようとすることこそが生き延びるための知恵であり、テクニックであり、文学である、ということも私に教えてくれたのである。
 私はもっとレベルの高い、立派な弁論を、堂々たる口調で弁じなければならないと思っていた。ところがそうではなく、もっと実感のレベルでやってよいのだ。伝えようとする姿勢こそが大事なのだ。つまり、私はミートソースの味やなんかに拘泥して、尻をブリブリ振って莫迦なことやっていたが間違っていなかったのだ!
 よかったあ。この本を読んで本当によかったあ。私はこれからも、どんな手を使っても、たとえそれがどんなに拙劣であっても臆せず恥じず伝わらぬことを伝えていこう。場合によっては英語はできないから自分で言語を拵えてでもやっていこう。とりあえずは件のスパゲッティーだ! あれをなんとかしない限り、私は生きていけない。生き延びれない。
 と、力み返っていると頭の中に突然、他者が現れて言った。
「いつまでもしょうむないことを言っているのだ。奮起せよ」
 その、他者の顔は一度だけ会ったことのある都甲氏に少し似ていた少し似ていた。

 (まちだ・こう 作家)

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