書評
2014年12月号掲載
捕物帳にしてビルドゥングス・ロマン
――野口卓『隠れ蓑 北町奉行所朽木組』(新潮文庫)
対象書籍名:『隠れ蓑 北町奉行所朽木組』(新潮文庫)
対象著者:野口卓
対象書籍ISBN:978-4-10-125662-7
文庫書き下ろしの時代小説というと、数時間でサクサクと読める軽快な話だと思いがちかもしれない。たしかに一気に読めるリーダビリティをそなえているかどうかはエンタテインメントの重要な要素のひとつであるが、娯楽読み物の中にだってじっくり腰を据えて楽しみたいものはあるだろう。
時代小説でいうなら、山本周五郎や藤沢周平のビルドゥングス・ロマン系の作品。
ビルドゥングス・ロマンとは、日本語では教養小説とか自己形成小説などと訳されている。それだけいわれても、今ひとつピンとこないかもしれないけど、要は主人公が様々な経験を経て成長していく姿を描いた小説のこと。山本作品では『ながい坂』、藤沢作品ではお馴染み海坂藩ものの『蝉しぐれ』等が広く知られているが、主人公の軌跡を描いていくとなると話のほうも長くなることが多い。
じっくり読ませるもので、しかも長めの話とは、文庫書き下ろし作品には一見そぐわないようだが、実は短篇にだってそういうタイプはあって、野口卓の新潮文庫既刊『闇の黒猫 北町奉行所朽木組』はその格好の例といえよう。
本書『隠れ蓑 北町奉行所朽木組』はその『闇の黒猫』に続く「北町奉行所朽木組」シリーズの第二弾。冒頭の「門前捕り」を始め四篇を収めた連作集である。
このシリーズは副題通り、幕末に近い天保年間を舞台に、江戸・北町奉行所の定町廻り同心・朽木勘三郎とその手下たちの活躍を描いた捕物帳だ。「冷や汗」他二篇の『闇の黒猫』も、商家の盗難騒動や茶問屋の跡取り失踪事件を描くとともに、現場に何の痕跡も残さない凄腕の盗賊“闇の黒猫”の捕り物を通しテーマにした捜査小説仕立てになっていた。
この捕物帳はしかし、ただの捕物帳ではない。普通なら主人公の朽木やその右腕、岡っ引の伸六の活躍をフィーチャーしたヒーロー譚に仕立てられるところだが、このシリーズにおける捕り物は、朽木を司令塔に伸六とその手下――下っ引たちがそれぞれの役割を分担する形で執りおこなわれる。あくまでチームとしての集団捜査なのだ。
朽木「組」ものたるゆえんである。
リーダーの朽木は鋭い洞察力をそなえているだけでなく、公明正大で手下への心配りも濃やか。しかも手下を前に、「わしが言いたいのはだな、罪人を捕らえることも大切だが、わしらにはそれより大きな役目がある。それは罪人を作らぬこと、罪人を出さず、罪人が出なくてもすむ世の中を作るということだ」(「闇の黒猫」)といってはばからない理想家肌の旦那だ。その薫陶を受けた伸六も若い手下を無暗にしごこうとはしない。「手下たちを一刻も早く腕利きにして、弱った者の力になってやるべきだろう」という合理的な考えかたの持ち主だし、さらにその手下たちも「半端者やならず者が多いこの世界では、まともでまじめな若者たち」なのだ。
さらには、朽木と定橋掛同心の見習いについている長男・葉之助との交流ぶりからも、成長を続けようと願うふたりの志がうかがえる。つまり朽木組とは自らを啓発しようという意志を持った精鋭の集団であり、彼らのまっすぐな思いが捕り物を通じても自ずと立ち現われてくるのである。
その点本書では、下っ引の大男“地蔵の弥太”の幼馴染が災難に遭うホラー仕立ての「開かずの間」と、朽木とかつて剣の道場で彼の好敵手だった男との対決を描いた表題作に、そうした特徴が色濃く表れていよう。前者では弥太の身の上が詳らかにされるほか、彼に助けられる文太郎の成長ぶりにも注目だし、後者では逆に、道場に入門した当時は花に詳しい繊細な少年だったのに、どこで歩む道を間違えてしまったのか、歪んだ成長を遂げた男の末路が暗い余韻を残す。
今回はまた、朽木が捕り物で司令塔の役割を果たすだけでなく、剣術の面でも非凡な腕の持ち主であったことが明らかになる。といっても、「もともと道場に通ったのは、同心としての仕事をまっとうするため」と恬淡としているあたりはいかにも朽木らしい。剣豪といえば、著者の出世作『軍鶏(しゃも)侍』シリーズの主人公・岩倉源太夫であるが、朽木のキャラクターとどう違っているか、未読のかたはぜひそちらと読み比べてみていただきたい。
(かやま・ふみろう コラムニスト)