書評・エッセイ

2014年12月号掲載

個人の体験を超えた「夫婦間介護」の苦悩と真実

――南田佐智恵『明日はわが身 若年性認知症の夫と生きる』

南美希子

対象書籍名:『明日はわが身 若年性認知症の夫と生きる』
対象著者:南田佐智恵
対象書籍ISBN:978-4-10-336791-8

 昨今、「介護」という言葉に触れない日はないくらいだ。それは大抵、65歳以上の高齢者人口が約3分の1を占める超高齢化社会の到来とセットで語られ、高齢の両親を抱える私にとっても切実だ。いや、自分自身が高齢者になる日もさして遠い日のことではない。我が身の行く末に思いを馳せるにあたっても、介護とは避けて通れない問題だ。
 しかし、現役世代の夫とその妻を襲った認知症という病気のむごさは高齢者とは比べようもない……。
『明日はわが身 若年性認知症の夫と生きる』は、若年性認知症の夫の介護を続ける妻の、壮絶な手記である。
 著者は、長年に亘って故・渡辺淳一先生の秘書を務められてきた南田佐智恵さん。
 南田さんと私の出会いは2005年秋、渡辺淳一先生が基調講演をなさったエイジングフォーラムの場でのこと。南田さんは同行の秘書で、私は講演に引き続いて行われるシンポジウムのコーディネーターという役回りだった。
 講演に際してはもとより、打ち上げの場においても、彼女は驚くほどてきぱきと動いた。まさに完全無欠の差配ぶりで、あらゆる局面において、渡辺先生は「おい、南田君」と声を掛けられ、それは稀代の大作家から全幅の信頼を置かれていることを物語っていた。
 この日を境に、雲上人だった大作家の知遇を得るという恩恵に与った私は、渡辺先生の講演の司会や文庫本の解説文の執筆など多くの仕事を頂くようになった。でもそれは、先生に認められて、というよりむしろ南田さんと意気投合したことが大きかったような気がしている。彼女とは、初対面の時から何か心に響きあうものを感じ、親しい付き合いが今日に至っている。
 本書をむさぼるように読み終えると、ご主人の病気の発症から進行の過程、介護者としての苦悩、修羅場の話など、私自身が彼女の口から直接聞いた多くの事柄が綴られていた。 沢山の話しにくいことを彼女はこんなにも聞かせてくれたのに、その度ごとに私はなぜもっと親身になって共鳴し、真摯に耳を傾けられなかったのか。やりきれない時はどうか遠慮なく助けを求めてという一言を、かけがえのない友人になぜかけることができなかったのか。我が身を恥じ入り、愕然とするばかりだ。本書の中で彼女は、一人で抱え込んだ介護地獄のことを「たった一人で走る暗黒街のマラソン」と表現している。沿道には人っ子一人おらず、声援も給水所もなく、おまけにゴールがどこにあるのかさえ知らされず、さらに棄権は決して許されないのだと。いや、思い返せば彼女は精一杯の弱音を吐露してくれていたのかもしれない。私と知り合って間もない頃、すでに彼女はご主人の異変の兆しに気づき、その丸3年後に若年性認知症という診断を受け、孤立無援で走る暗黒街のマラソン走者として心身ともに擦り切れる寸前の状態で介護者としての人生をひた走っていたのだ。
 だが、仕事人としての彼女はそんな苦労と苦悩を微塵も漂わせることなく、大作家を陰に陽に支えることに奔走し、常に凜として眩しかった。誰もまねることのできない彼女ならではの気丈さの背後にあるものをなぜもっと斟酌できなかったのか、改めてこの自分が情けない。
 ダンディでまだ男盛りの夫がネクタイも結べなくなり、言葉もままならず、ひいては下のことさえも自身では出来なくなる……。大切な存在が日を追うごとに瓦解していくような様を目の当たりにすることの辛さが痛いほど伝わってきて、切なさで息が苦しくなった。それでも、夫に精一杯装わせようとするいじらしい妻の心意気には共感を禁じ得ない。
 折々に宝石のようにちりばめられる、ボスである渡辺淳一氏の至言も本書に厚みを添えている。
 しかしながら、どんな苦境に立たされようと、著者はそれに果敢に立ち向かうだけでなく、自身の計り知れない苦労を何とか世の中の役に立てようという気概までをも忘れてはいないのだ。介護社会に備えて私たちはどう支え合って生きていくべきか、個人の介護体験記をこえて、本書は示唆に富んだ実に多くの大切なことを教えてくれるのである。

 (みなみ・みきこ エッセイスト)

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