書評
2015年1月号掲載
大震災で露わになったこと
――垣谷美雨『避難所』
対象書籍名:『避難所』
対象著者:垣谷美雨
対象書籍ISBN:978-4-10-126952-8
この小説を書こうと思ったきっかけは、東日本大震災のあと、段ボールの仕切りを最後まで使わせなかった避難所があったと知ったことです。複数の資料に出てくる現実にあった事例で、そこのリーダーは「自分たちは家族同然で、これから協力して生活していかねばならない。互いに親睦を深め、連帯感を強めて乗り切っていきましょうよ」と話していた。これを強いられていた被災者はどんな思いで暮らしていたかと想像すると、その夜、眠れなくなりました。
震災報道は美談にあふれ、絆や家族愛がこれでもかとクローズアップされていましたが、そもそも、このことに対して疑問と反発がありました。「ひとつになろう」と言われても、家族や個々人の事情で容易に受け入れられなかったり、適応できない人もいるはずです。むしろ重圧となり、深刻な状況に追い込まれる被災者のほうが多いのではないか。そう思って、資料を片端から読んでいき、福島と宮城で被災した友人に話を聞き、現地を案内してもらいました。ああ、これは他人事ではないなと思えてきたんです。自然災害の多い国ですから、自分もいつか被災する可能性がある。だから明日はわが身だと思えたし、もし生まれ育った城下町や自分の暮らしてきた町が被災したら、人間関係や風習などから避難所はこんな感じになるだろうと、切実に手に取るようにわかる気がしました。被災地の友人から「是非、小説で書いてほしい。協力するから」と言われたことも、大きな励みと支えになっていました。
主人公は三人の女性で、いずれも既婚者です。年齢や家族構成、育ってきた環境などは異なり、乳飲み子と最愛の夫がいて、舅姑と同居していた二十代の遠乃、離婚して母と息子と三人暮らしの四十代の渚、そして無職の亭主と別れられない五十代の福子で、それぞれが三月十一日にあの地震と津波に遭遇し、命からがら避難所に辿り着き、仕切りのない体育館での暮らしを余儀なくされます。その過程と暮らしぶりを細かく、生活者の目線で追うことを心がけました。
避難所にはおざなりの投票で選ばれた年長の男性リーダーがいて、被災者たちの自治に任されていましたが、「和を乱すな」と脅され、窮屈な決まりごとがある。また公平を重んじるあまり、ペットボトルの水は全員の手に渡るようになるまで配られなかったり、かよわく美しい遠乃は好奇の目に、中年以上の渚と福子は蔑視にさらされ、ことごとく監視される。
福子と渚は改善を求めて異議を唱えようとしますが、古い仕来りや男尊女卑の偏見に阻まれ、声をあげられない状況がつづく。そんな劣悪な環境のなか、彼女たちに重くのしかかってくるのが家族と先行きの暗さです。震災で家族の一員を亡くし、生活基盤も奪われる。遺された家族は必ずしも望ましいかたちの家族ではなくなっている。その重荷を背負って生きて行かねばならない皮肉と悲劇……。
モデルにした場所はあります。でも、宮城県の鷗ヶ浜市という架空の場所を舞台にしたのは、これは日本のどこにでも起こりうることで、いわば日本の縮図がここにある、という思いがあってのことでした。
最後に三人はある決断をし、踏み出していきます。我々日本人はややもすると、苦しいことは続かず、そのうちきっと良くなるだろうと、根拠のない楽観論をもってガマンしますが、それは人生を長い目で見ているからでしょう。しかし、何が起きるか、いつ命を落とすかわからない。福子は「あんまり先々のごどまで考えるのはよそうと思うんだ最近は」と言い、取り柄のない中年女性は臨機応変にしてないと生きていけないと考えをあらためる。店を失い、仕事にありつけず、生活保護も考える渚は小学校六年生の息子に教え諭されます。また遠乃は避難所で直面した問題は実は前々からあり、震災で露わになっただけだと気づく。三人は本当は自分のことで手一杯で、他人のことにかまっていられないはずなのに、手を差し伸べ、壁を突き破ろうとする。重苦しい大震災後を描いていますが、日本の女性はまだまだ捨てたものではないと、私なりの希望とメッセージを込めたつもりです。
(かきや・みう 作家)